わたしの人生語呂合わせ

OLの穏やかな思考

長野県思考

先月に引き続いて長野県に行った。今度は県庁所在地、長野市。の、善光寺側。

前回の記事。

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善光寺、人が多いので、カメラを上側に向けざるを得ず、こういう中途半端な写真しか撮れない。技術の無さも相まって、一大観光地が全然映えてない……。

善光寺、とてもよくて、おみくじが7,8種類あるとか、観光地化がそこまでされてない(ガツガツしてない)とか、目の前の寺?に泊まれるとか。この寺?はさらによくて、ツアー名に御一行様って書いた紙が吊るしてあった。「善光寺精進料理御一行様」みたいな。

前回の下諏訪と違って町で大喜利をしていなくて、ひたすら食していた。ひたすら古民家カフェに行きまくっていた。長野市、リノベーションカフェがめちゃめちゃにある。50軒くらいはある、たぶん。1日に食事は頑張っても3,4回しかできないため、10回は行かなくてはならない計算。

 

東京に古民家カフェはわりと珍しいと思うけど、ここ長野市では古民家カフェの食傷気味という状況。倉敷の美観地区とかとは違って町自体が古いわけではなく、ふつうのオフィスビルの間に突然おしゃれなカフェが現れる。

 

いま、夜ご飯を食べた古民家カフェでこれを書き始めたんだけど、後ろに座っている女子大生二人組の話していることにとても共感できて、会話に加わりたい気分になっている。が、ふつうに不審者なのでぐっとこらえて、彼女たちの疑問にここで答えたいと思います。

と、同時に、色々行って考えたことも。

 

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インターネットで見た人と会う。という聖地巡礼

長野市といえばリノベーション、移住、その辺のキーワードが湧くんだけど、そのきっかけとなったシンカイを訪れることができた。

シンカイのことは詳しい人が書いていると思うので、詳細を書くことは放棄するけれど、おいしいオレンジジュースをいただき、ありがとうございました。ナカノさん、とってもかわいいひと。

順番は前後するけど、シンカイの前にオンドワークショップにも行くことができた。そもそも今回の旅の目的はベルトを作ることで、これもジモコロで読んだんだけど、エッフェル塔をみたときの気分ってたぶんこれだろうな、と思った。インターネットで見たやつだ……………!!!!!

無事ベルトをオーダー。もっとも幅の狭い15mmで5000円という値段設定なので、とてもおすすめ。一般的に細ベルトとして売っている幅くらいで、女の人にはちょうどいいと思う。結構細かくオーダーできますよー。

 

観光地っぽい観光地は行ってないんだけど、わたしにとって聖地巡礼だなと思った。フリーランス、移住、車生活…………ちょっと憧れているところは確かにある。東京、悪くないですけど。

 

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親孝行。

 

金曜の夜に新幹線で逃亡することの楽しさ。

今回は金曜の夜に絶対定時で帰るマンをあらかじめ宣言しておいて新幹線に飛び乗ったのだけど、家に帰る1.5倍の時間をかけるとわたしは長野市にいる……………というかなり不思議な気持ちになった。北陸新幹線はビジネス利用の人が多くて、たぶん出張帰りとか単身赴任の帰宅とかなんだけど、俺は仕事の格好だが遊びに行くという謎の優越感。東京から長野、90分だよ!!!おすすめだよ!!!!バスとか電車あるから長野市の観光なら車はなくていいと思う。

でもめっちゃ疲れてたから着いた瞬間目に入った蕎麦屋で爆食いしちゃった。店員さんの腰が低く、料理も美味しかった。20時くらいに入ったんだけど、すでに完全に出来上がっているサラリーマン集団がおり、かなりのスピード感を感じた。同席させられたらしんどそうだな〜と思うくらいの酔い方でもはや面白かった。一人でいると周りの人を観察することに過敏になる。

 

そういえば、長野、人少ない。飲食店が満席ということがない。せわしなさがないのって、こういうところからなんだろうな。

 

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わたしの仕事ってなんなんだろう。

インターネットで影響力のある人が、現実世界でどうなのかはわからないけど、シンカイのみなさんは実際のお店をやりながら、インターネットで発信しながら、そういうことがぜんぶ一つの仕事になっている。それがすごいいいなーと思った話。簡単に真似できるようなことではないが。

わたしの仕事は、完全に企業相手で、しかもサービスを売っているので形はなく、ITという狭い業界でしか通用しない。お客さんになりうる会社も限られる。日本だけで何百万社も会社があるのでネタが尽きることはないと思うが、弊社メソッドが確立されすぎて、いまの会社をたとえば辞めてしまったら、たぶん通用するところはそんなに多くない。(個人として通用するレベルまでいけば別だけど)

仕事に貴賎はないし、いまやってることにそこまで不満はないけど、生活と仕事がちゃんと結び付いてる人をみると、もっと生活らしい仕事、仕事らしい生活がしたいという気持ちが衝動的に湧いてくる。そして、これだけはという軸を作りたい。それはべつにいまの仕事でもいいのだ。それこそフリーランスになったとして生きていけるだけのなにか、得意技が欲しい。どこかに所属するのが嫌なんじゃなくて、ふわふわしたいまの状態からちゃんと地に足をつけたいということをようやく考えるようになった。

去年はやることすべてが新しかったから、そのテンションだけで過ごすことができた。一人暮らし始めたてみたいな、交際1ヶ月みたいなテンションでいられた(どっちもしたことがありません)。いまは、まだ2年目だけど、ひとつひとつにちゃんと意味を感じないとやってられねーーー!みたいな気持ちが湧くようになってきている。滅私奉公できない。とりあえず歯車にはなれよということもわかっている。歯車になるのも難しいから。

たとえば、めんどうな手続きをやらされたとして、こんなん覚えてもうちの会社でしか通用しねえじゃんという邪悪な気持ちがどうしてもある。それでもやりますけど、仕事なので。自分が甘いこと言ってるのも、隣の芝なのもわかってる。もはや恥ずかしい。ちゃんとした大人になりたい、早く……………。

 

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音楽を聴かない。

先月の下諏訪のときは、新しいプレイリストを作ったばかりでテンション高かったのでずっと音楽を聴きながら移動していたのだが、最近イヤホンのフィット感が落ちてきたこともあるのか、今月のプレイリストはかなり聴き込んでしまっているからなのか、BGMが邪魔になってしまってあまり聴かなかった。旅行中は思いつきに任せるようにしてるんだけど、気づいたらイヤホンを外していたというか、音楽はいらないなという気持ちになっていた。

ふだんは電車に乗ってるときはほとんどかならず何かを聴いている。電車は耐えがたいから。満員電車が嫌いではないけど、先に書いたように人間観察にかなり過敏になってしまうので、隣に立っている人の咳払いでさえノイズになる。隣の人は悪くないんだけど。あと、周りの人のiPhoneの画面が見えるのがものすごく嫌。とくに2chまとめサイトか、物件情報をみんな見過ぎ。通勤中に家が決まると思うな。

話が逸れた。ようは、満員電車がわりとストレスだったのか?と気づいた。わたしも満員電車の構成員の一人なわけで、駅の混雑を作っているわけで、だからあんまり文句言っちゃいけないと思うんだけど、それでもどうしても嫌なときはあるよね、と自分の気持ちを認め直した。生まれてからずっと同じ沿線に住んでるから、電車は混んでるもので我慢するもの、音楽聴いてれば我慢できると言い聞かせてたけど、そもそも満員電車エリアって東京大阪名古屋くらいなのでは?あと京都か。でも東京以外の混み具合って全然ガチじゃない。東京って異常なんだよな。

………ということで、じゃあ家出て会社の近くに住む?ということも考えるけど、いまの実家の家賃、会社までの距離、実家暮らしのメリットと、いつ辞めるかもわからない会社に合わせて東東京に住むことのメリット。比べられないので、決め手がない。決め手がないうちは、行動しないでしょうね。

 

そんなところで、はやくも次いつ行くかを考えているわけでした。

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ここ以降、カフェの女子大生の会話に対しレスポンスしたいと思います。

 

リクルートの制服について。

就活生はみんなロングヘアをポニーテールにしてて、没個性!こわい!!!みたいな話をしていたので。彼女の姿は見てないけど。

これはわたしも2年前に思ってたなー。わたしはショートカットだったので結べる長さではなく、前髪だけ止めてた。それでもかなり珍しかったと思う。

これは、就活生側の立場から考えるととりあえず見た目では目立たない方がオッケーという感覚だろうし、中身で目立つという意気込みもあるんだろうけど。面接官やってる部長とかに聞くとたしかにみんな同じとは言われる。

ただ、想像いただきたいのだが、たとえばおしゃれ古民家カフェに入るときにどんな店員さんをイメージするだろうか?きっと丸メガネでニット帽でちょっと個性的なTシャツを着た男の人なんじゃないだろうか。そこで全身にスタッズをきかせたメイクばっちりのバンドマンが出てくるとはあんまり思わないだろう。出てきたら一瞬びびってしまうかもしれないし、この店のコンセプトは?!?!と情報量に混乱するかもしれない。

就活もそんなものなので、コンセプトが違う人はその時点で受け入れられないのであり、たいていの企業のおじさんが想像できる範囲内の女子大生はポニーテールなのです。逆に、おじさんがアロハシャツだったら嫌でしょう。ということで、制服みたいなものです。中央線沿線の古本屋にはおしゃれポロシャツ男子しかいません。学校に制服を着ていかないのは不良ですからね。

ただしね、そんなこと関係なく、ちゃんと素を出した方が通りますよ。この素というのが難しいけど、いい子ぶるとかかわいこぶるの反対語と思ってもらえれば。いい子に越したことはないけど、アラが見えない範囲で。わたしはまったく隠せず、つねにフルオープンにしていたらいまの会社に面白がられて拾われました。

 

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自分の性って。

 LGBTってくくられてるけど、実際は細かくたくさん種類があるというような話から。体と心と性指向の組み合わせだから何通りもあるよね、と。じゃあ、心ってなんなんだろうって。

女子大生は、体は女、性指向も男だと思うけど、心の性なんてわからないという。だから、わたしは女を愛する女ですとか、そうやって自分のことをはっきり分類できる人がわからない。どうやったらそんなはっきり言えるの?と言っていた。さらに、昔は女の子が可愛いなんてわからなかったけど、いまは橋本環奈みたいな可愛い子を見るとめちゃくちゃテンション上がる、なんて言っていた。

それに対して友人は、わたしも彼氏もいるけど性指向はわからない。女の子も好きかもしれない。橋本環奈の件は、彼女の造形だけを褒めているため、橋本環奈が女だろうが男だろうがそんなことは問題にしていないみたいなことを答えていた。完全盗み聞きなので、違ったら何重にもすみません。

 

この話、共感しすぎてもしかしたら頷いていたかもしれない。そう、心の性ってまじでわかんないよな。体の性と一致している人が多いためにそもそも問題にならないのか、一致しているべきという価値観があるために問題にすることを感じられているのか。そもそも、体が女だから心も女と思っているだけかも。

橋本環奈に関しては目から鱗だった。たしかに美しいものを見るとき、わたしたちはその性別なんか気にしませんね。橋本環奈が男装したとして、そしたら綺麗な男の子として見るのかな。面白いね。

そして、ハッとさせられたのが、わたし、今まで交際できなかったのは、自分の性がはっきりしてないから、はっきりしてる人から見たら気持ち悪いからと思ってたのですよ。性がうんぬんと悩まない人とは合わないなって。

それが、女子大生、彼氏もいるけど悩むという。男は関係ないのだな?と思いました。相手の男も性で悩んでるかもですからね。言い訳はやめようと思いました。ありがとう。

 

わたしは23歳になっても自分の性別に自信がありませんが、それを何かの理由にせず生きていきたい。

 

旅行に行くと時間があるのでもやもや悩むんだけど、平日が来るとこの悩みは全部飛んでしまうから、この中の一部でもちゃんと自分の中に保っておきたい。忘れないでおきたい。

 

どんな状態だって生きていていい

悲しいニュースを聞く。胸が締め付けられる。当事者の気持ちにはなれないからこそ、せめて断絶してはいけないと思う。

 

たとえば、5歳の女の子が虐待されて亡くなった事件。わたしには子どもがいないし作る予定もないから関係ないとは思いたくない。5歳にしてしっかりとした文章をお書きになっていた彼女のことを考える。親は子どもを愛せとは思わないが、頼みの綱が親しかない子のその綱を離してはいけない、全くの赤の他人でも何かできなかったかと思ってしまう。もちろん、わたしは報道されていることしか知らないし、関係者の誰にもなれないから、せめて、彼女のことを考える。

23歳のわたしは、風呂も洗ってなければ勉強も彼女よりずっとしなければならないがしていないし、息が切れるまで運動もしていない。そもそも最近文章という文章も書いていない。それでも生きることを許されている。だから彼女にも生きて欲しかった。彼女が死にたがったわけではないが、なぜか自殺する中学生のことを連想してしまう。生きていて欲しい。

 

また、これは真反対の件で、新幹線内の殺人事件。ふだん出張だの旅行だので新幹線に乗る者として、というより大多数のサラリーマンが恐怖したんじゃなかろうか。無差別。手の打ちようがない。

自らも、怖くなかったはずはないのに女性を庇った男性。どうしたらそんなことができるのだろうと思う。こうやって、圧倒的に他者のために生きられる人がいる。周りの人間からの評判も高い。みんな悔しい、憤っている。そういう人から犠牲になっていく。生きていて欲しいと多くの人が願っている。彼はみんなの中でまだ生きている。

自分も新幹線で無差別殺人にあったらどうしようという気持ちと、そのとき迷わず自分の身を投げられるだろうか、という気持ちがある。自分には無理とすぐに断絶したくない。ぜったいにわかりようのない、他人の気持ちというものに、できるだけ寄り添いたい。できるだけ。

犯人は、他にも多くのことを語ったのだろうけど、むしゃくしゃしていて誰でも良かったという言葉だけが報道される。いったいどういうときにそんな発言ができるのか、どういうときにそんな気持ちになるのか、と思う。みんなどこかしら、むしゃくしゃして誰でも良かった気持ちになりながら抑えている。わたしはやたら買い物をする、カラオケに行く、深夜にメンヘラになりブログを衝動的に書く。このストレス社会で、なんとか自分を押さえ込んで生きることの良し悪しは分からないけれど、他人の人生をどうこうする権利は誰にもない。そんなの、アイヒマンの時からずっと言われているのだ。アレントの文章。

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

悪はいつだって凡庸だ。

 

どんな状態だって生きていて良い、最近そう思うことが増えた。やっと自己肯定ができるようになってきたからかもしれない。自分に対してだけじゃなくて周りの人にも思う。まったく関係ない人にも思う。どんな状態だって生きていて良い。もちろん死んで欲しいくらい憎まれている人もたくさんいるけれど、ここで言いたいのはそういうことじゃなくて、有り体に言えばメンヘラだっていいということだ。たしかにメンヘラはほんとうに迷惑でしかないので、いないに越したことはないが、均一化してみんな心が健康な社会より、みんながちょっとずつ病んでるけどお互いを受容している社会の方がいい。そうやって大きいことを思う。断絶しないということは、こういう意味でもある。

 

特に言いたいことがあるわけではなくて、悲しいに任せて書いたけれど、こんな沈むような救いのない悲しみはあまりなくて、途方に暮れてしまっている。全く知らないはずの5歳の女の子に生きていて欲しいと思う。大人になると、指数関数的に楽しいからね。ぜひ、そちらでさみしくなったら我が家まで来て欲しい。5歳の子が食べられるものを作れるかは分からないが、とりあえずお腹いっぱいになるくらい食べるものはあります。

 

自分にちゃんとお金をかけることって難しい

夏のボーナスが見えて来たので、いまから何に使おうか悩み、すでに一部はカードを切りまくっている。楽し〜〜〜〜!!!!

人生の楽しみはカードを切ること。

特に独身女の楽しみはこれしかない。使い道が服か、靴か、鞄か、化粧品か、二次元かという違い。おかげで、同じ役割のものが家に2つ以上あるという最も嫌いな状態が起こってしまっている。たとえば化粧水が顔用と体用ある(顔用は高いので体には使えない)、これはいいんだけど、プレ化粧水が2種類あって、いま欲しいのが1つある。すっげーもやもやする。洋服の洗い替えすら嫌いなのですよ。

 

そういうわけで、今週末も庭・池袋を訪問し(庭だから外に出ただけか)、散々お金を使って来たわけですが。

ちゃんとしたものを買うことと自己投資は違うなあとまた哲学したのでした。

 

昔は、というより少し前の学生時代は、自分が身に付けるものにお金をかけるのはもったいないという信念があり、高校生の時からきているTシャツや、なん年前に買ったかわからないジーンズ、1足しかなくて手入れしたこともないスニーカー、300円ショップの鞄など、それはまあお金をかけない生活をしていた。毎週ユニクロに行くのがもはや楽しみだったし、大学の授業行く前に朝早く起きてユニクロの開店に飛び込むみたいな頭おかしいこともしていた。その分のお金はバイト先への交通費と、食費と、本に消えていた。

 

それが最近、最近ってもほんとにここ数ヶ月、やっと金銭的に余裕が出てきて、すこし高い服を買うことができるようになってきた。ゾゾタウンの金額バー(何円以上とか何円以下とか設定するバー)を5000円以上に設定することができるようになり、ユニクロ通いをやめ、GUには入らなくなった。時間つぶしに入ることはあるけど欲しいものがなくなった。

ものを減らした影響も大きくて、身の回りのものを厳選するなら安物は置きたくないと思うようになった。とはいってもまだルミネとかで買えるレベルのブランドしか手を出していないけれど、以前に比べればクローゼット内の合計金額は2.5倍くらいにはなってるはず。

 

それでやっと、一人でいる時もルミネのおしゃれ空間を歩くことができるようになり、池袋ルミネで言えば4,5階以外も歩けるようになった(4,5階は大学生〜20代向けの安い服が売っている)。ユニクロ依存ってwunderlistに書いてあるんだけどはやくも達成した。

 

それでも、自分のためだけにお金をかけることにすごく抵抗がある。簡単に言えば、こんな素敵な服、わたしが着ても値段以上には見えない、石原さとみ以外は死ねみたいな気持ちになる。めっちゃ雑に書きましたが、世の女のほとんどは石原さとみではない。

1万円のパンツを買ったとして、2000円の限定価格のユニクロのパンツと何が違うのか?そりゃものとしてははるかに1万円のほうがいいけど、持ち主は俺やで?というセルフツッコミ。きつい。かなりきつい。だから判断力が鈍っているうちに買っちゃうことにしてるけど、帰ってきて家でマジ落ち込むということが、よくある。酷い。

まあ、みんなこういうことあると思うけど。買い物とは後悔との戦い。いかにアドレナリンでごまかすか。そうじゃないとあんな高いクリームだの美容液だの買えなくないですか。ドゥ・ラ・メールはやっぱりすごいと聞くしすごいんだろうし使ってみたいけど、いや、お前の顔に使っても………wという気持ちもある。てか、この気持ちが大きい、たぶん恥も外聞もなかったら、ネットでなんでも買える時代、SK-IIくらい既に買ってる。恥、欲望に勝つ。

 

そんな感じで、いまはクリニークのクラリファイングローション2迷っている(冒頭に書いたプレ化粧水)。クリニークは前から好きだけど、商品名が強そうで、かつ、英語なのに聞き慣れてない感じがとてもよい。愛用してる口紅がチャビースティックとかいう名前なんだけど、チャビー………と余韻に浸れる。必殺技みたいな名前も多くて、めっちゃ効きそう!!!ってなる。頭が悪くなれるところも良い。あんま褒めてない感じだけどほんとに好きなの。BAさんの攻撃力もそこまでたかそうじゃなくて優しいし。

 

綺麗になったりおしゃれになったりして、周りにも良い影響がきっとすこしはあると思うので、まったくの無駄でも自己満足でもないと思うけど、爪すら職場の人にまったく気づかれないし、なんつーか、孤軍奮闘するブス、もう平成も終わるのに。

最近の爪。

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家の中で撮ったおしゃれさのかけらもない写真。カラーのグラデーションに、透明なところとの境目に金色のラメを入れてもらったんだけど、写真があるのに解説が必要って。しかもこれ、beautyplusで撮ったけどな。

 

買い物を投資にするためには、未来の自分はもっと良くなってる!みたいな信じ込みと信念と、気持ちの部分も大事なんでしょうね。果たして、わたしはブスじゃなくなってどうしたいのか。とりあえず、毎日自分の顔見てブスさに絶望するのやめたい。とくに休みの日に昼間まで寝てたとき。

あの人は苦手だと思った時にどうしたら良いか分からない

就職する時に苦手な人との人間関係は分断してしまったし、それでも残った数少ない友人との関係の上での違和感は飲み込むようにしている。向こうもわたしに対して少なからず苛立っているだろうし。

いまの会社に入ってから1年少し経つけれど、これまで致命的に苦手な人はいなかった。第一印象が良くなくてもそのあと魅力的だと思う人が大半で、かなり恵まれてると思う。人間関係が原因で会社を辞める人はきっと毎日毎日いるだろうから。

 

それが、やっぱり苦手という確信を持つ人が、現れてしまった。

その人は社員ではなくて、おそらく一時的に弊社に来ている人で、そのため、これからずっと関係が続くわけではない。たぶんあと半年くらい。だから、意地でも仲良くする必要とかはない。案件も今の所かぶっていないので、世間話くらいしかしない。

やり過ごせばいい、それだけの話なのだけど、ぬるま湯に浸かりすぎて、人を嫌いになれなくなっていた。

こう書くと善人のようだが、要は自分が悪者になりたくないだけで、性根が優しいわけではない。相手は悪い人ではないから、嫌いになってはいけない、嫌いになったらこっちの性格が悪いような気がする。というか実際そう。全然悪い人じゃない。

でも、会話が毎日のように噛み合わない。きょうも何回も噛み合わなかった。我が部署は数人しかいない小さいところだから、噛み合ってない空気が瞬く間に広がる。誰も何も言わないけど、もわっとする。ただでさえ後ろから聞こえてくる誰かの怒鳴り声に毎日消耗しているのに、ちょっとした雑談をするだけで胃がキリキリしたくない。もっとこの場所に染まってくれと思う。郷に入りては郷に。

わたしは新卒の頃からいるので、うちの部署の空気しか知らない。向こうは年が倍くらいの人で、名の知れた企業でも何社も働いて来た人で、だから向こうのほうが経験もずっと上だ。いろいろな職場の空気も知っている。そういう人に対してわたしが何か言えるわけでもないが、というか、相手の方がずっと立場が上だからこそ、嫌いになることに壮絶なエネルギーを使う。あと、女性だし。

性別でどうこうというのはわたしが最も嫌うところの話だが、職場ってかなり性別で区切られているので、女同士仲良くせよ的な圧力があるように思う。でもわたしはおじさんの間にいる方が楽なんです!ちやほやされたいんです!だからあなたがくる前が一番幸せな空間だったんです。

上司は会話が噛み合わないと会話自体を放棄する人なので、みたいなものがわたしかわたしの隣の席の神がかりに優しい人に回ってくる。この優しい人の話も別にしたい。というか既に何千字も書いているので公開を待つだけ(愛が重すぎるため、公開を迷っている)。

で、この優しい人、仮にMさんとするけど、この人ともう一人の先輩(一回り上)と食事した時に話が出て、この女性(新しく来たわたしが苦手な人)とMさんは一緒に仕事してるんだけど、全然進まなくて日々いらいらを感じてるらしい。そういう話を聞くとMさんに対するがんばれ………!という気持ちと、愚痴なんか聞きたくない、胃がキリキリするという気持ちでいっぱいになる。矛盾している。女同士だと悪口しか言わないわたしは、男性(この二人は男性)といるととたんに何も言えなくなる。また性別に振り回されているし、べつにわたしは女性の味方じゃねえみたいな気持ちにもなる。

 

そういうわけで、毎日もやもやの中で過ごしている。彼女はたいへんに頭の回転が速い人で、だから話が一足飛びになることがあって、それを相手もわかるように噛み砕いて話してますよ感がして、さらにもやもやする。それが別にわかりやすくなってないから。そして、その結論がわたしが予想する方向にはなっておらず、話を最後まで聞かないと全く見えない。会話くらいノンストレスかつ無意識でやりたい。

あー、この中の一つの話も誰とも共感できねえ。わたしと彼女以外部署に女性はおらず、もっと範囲を広げても20代女性は周りにわたし入れて3人。高齢化社会って感じ。

そういえば、彼女は部署で2番目に年齢が上で、一番上の人は毎日来るわけではない嘱託的な地位だから実質一番上だ。上司よりも上、だから何も言えないんだろうなー。というか、わたし→上司→Mさん→彼女、となってて、年功序列の反対語みたいな部署なのです。

 

いつまで耐えればいいんだという気持ちになってて、日々きついし、人の嫌い方がわからんし、インターネット以外聞いてくれる人いないし、これがおじさんの悪口なら気軽に女同士言えるのになあ。やだなあ。

 

超個人的で中身のない話になったので、次は脱毛サロンの広告が山手線にはありがちだけどほんと嫌いという、まったく路線が違う嫌いなものの話をしたいと思います。どの脱毛サロンのキャッチコピーも最悪だと思う。

 

自己肯定感の低さと自虐との関係について

かなり衝動的な人間なので、思い立ったが吉日のとおり、思い立ってから動くまでが異様に早いときがある。いまは家にあるCDを売るためにiTunesにとりこみたいが家のパソコンが古いので、できるかどうか確かめたい衝動に駆られている。しかしこれは始めてしまったら長い。たぶんiTunesはうまく立ち上がらないし、思えばミュージックだけ同期は弟のサーフェスに取ったかもしれない。となると弟の帰宅を待つしかないが、おそらくわたしが寝た後に帰ってくる。解散!

欲望が簡単に満たせる現代の都会にいると、欲しいものやことが発生してから消えるまでのサイクルが短く、そして毎日のようにいくつも発生する。ベッド下の収納が嫌いだから無くしたいだけの話なのに、iTunes検証にまですぐ飛んでしまう。まあ、ベッド下にCDが大量にあり、処分するには売るか捨てるかしかなく、でももったいないのでiTunesには取り込んでおこう!ということですが。中学生のときはインポートとか全然苦じゃなかったけど、いまは家でPC使うのが流石に手間すぎる………。

初めてiPodを手にしてから10年。音楽は聴き放題の時代になりました。あんまり音楽に興味はないのでありがたいこと。CD過激派の人はわたしの代わりにインポートと同期を頼む。

 

冒頭関係ないことを書いたけど、きょうはまたアルテイシアさんの連載に感動した話。あと、ここ数年悩んでたことの一部が解決した。

これね。とくにこの部分。

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この連載は基本無料で読めるので貼りますが、有料になるようだったら消します。

自己肯定感の低さが恋愛偏差値の低さ(さらにだめんずに引っかかる可能性の高さ)と言われることは多々あって、自己肯定感の低さという話は恋愛コラムでは度々出てくる。だから自分に自信を持とう!そのためには服とメイクと行く場所を変えよう!というのが数多ある恋愛コラムとか恋愛本が言っていることだ。わたしもこういった本を読みあさっていた頃はなるほど俺の話だな?と思っていたが、時間が経っても自分が自信満々になることはなく、ますます落ちていくばっかりで、完全に落ちないように調整するのがうまくなったくらいで、明るくはならなかった。

しかし、自己肯定感の話が関係ないとなれば、というか別のところに原因があるなら、話は別だ。わたしはまったく関係ないところであわあわしていたのかもしれない。だめんずでも引っかかりたいけど、もはや。

 

原因を探るのって別に未来の幸福につながっていないけど、あえていうなら姉気質だからだと思う。一人でできることのほうに価値を置いているので、たとえば荷物を持ってもらうとか、予定を決めてもらうとか、何かしてもらうことがものすごく苦手。相手がかなり年上とか、相手の得意分野(仕事でわたしがわからない打合せに同席してもらってコメントもらうとか)ならまだ素直に甘えられるけど…。だから、女慣れしていない男の子はかわいいけど、きっと面倒をみてしまって関係が深くはならないと思う。というより、自分でシャットアウトしちゃうんですよね。

それでも最近、かなり腰が低く?なってきて、やっとそれなりに人間になったな〜と思っている。モテ本目指すのってやっぱりしんどいですよ。非モテは上がれる階段から上がってこうな。

 

自己肯定感の低さを食い物にしてるモテ本界隈では、自虐をするな、芸人になるなということがよく書いてあって、いまだに芸人になってしまうわたしには非常に痛いのだけど、芸人だってサービス精神ってことをわかってほしい。

みんなを楽しませたいから、誰も傷つかないネタで自分を傷つけるっていう、サービス精神と自己防衛がごっちゃなのが自虐なのですよ。何年も自虐してると息を吸って吐くように言えるようになるから、もう自分は傷つかなくなる。芸人ってそうでしょう。ブスとか言われてもべつになんとも思ってないはず。

だからって、場を白けさせるほどの過激な自虐はダメで、それは当初の目的を逸してるから。みんなのエンタメでありましょう。

 

何が言いたいかというと、自分の欠点をなんでも自己肯定感のせいにすんのやめようということであり、自己肯定感という都合のいい言葉は原因にはなりうるが未来は作ってくれないという当たり前の話である。暗い青春を過ごしたみんな、これからは幸せになろうな。幸せになる第一歩、自分を支えてくれる周りの人に目を向けることで、それって自己肯定感うんぬんから離れることかもしれない。

 

根拠のない自信とか思い込みとか、そういうこと考えてる時間がくそほど無駄。断捨離でもして心を洗おう。

 

池袋原理主義者をやめたい

街の話をよくする。路線図が好きで、とくにJRの路線図を電車で見ると、乗り過ごしそうになる。メトロの路線図も大好きだ。最近、どこからどこまででいくら、を覚えそうになっている。ナビタイムが不要になるのも近い。都内であれば。

 

山手線って、都内でもかなり珍しい路線で、よく考えたら円形でぐるぐる回ってる路線なんてなかなかないのだ。路線図として面白いのは大江戸線のほうだけど。上野に行ったり、汐留に行ったり、かなり忙しない路線だと思う。光が丘と六本木が1本なのも面白いし。

山手線に思い入れがある人がどれだけいるのか分からないが、みんなそれぞれ山手線の始点があるんじゃないかと思う。いつも使ってる乗り換え駅とか。山手線沿線に住んでる人はそこまで多くないと思うけど、乗り換えなら相当に縁がある人がいるだろう。

そして、わたしにとってその始点はずっと池袋である。池袋を通らないとどこにも行けないところに住んでいるので、言ってしまえば埼京線丸ノ内線も、有楽町線副都心線も、すべての池袋を通るJRとメトロはわたしにとって池袋が始発というか終点というかなのだが、山手線はその円形の構造上、どこから考えるかがかなり大事である。

たとえば新橋と聞くと池袋から最も遠いエリアという印象がある。わたしにとって新宿と田端は池袋からの距離という点でほぼ同じ街だ。東京駅と聞くと新幹線の他にイメージする路線で生活が見えるけども、わたしにとっては丸ノ内線である。山手線より池袋から近いから。

池袋からの距離だけで東京を考えた時に、銀座(丸ノ内線)も、品川(山手線)も、そう変わらないエリアになる。ふたつの街を考える時に、必ず池袋が介在する。それくらい、原理主義者である。

駅でなく路線を考えると、中央線とか、京浜東北線とか、メトロなら銀座線、日比谷線東西線南北線半蔵門線とか、池袋を通らない路線とは縁がない気がする。というより、自分から縁を破壊している。以前錦糸町に通っていた時初めて半蔵門線に乗って、とにかくそのうるささに驚いた。違う電車!と思った。違うも何も、ないですけども。

 

でも、やめたいのです。池袋原理主義者。

 

そもそも、池袋って埼玉から来る人が〜〜とか、まあ埼玉とか、ほぼ悪口しか言われてないし、豊島区全体で見ても、巣鴨!!って感じで、とくに観光資源もない23区の中でも地味なほう。池袋OLって聞いても全然冴えないですし。散らかった1R6.5万円追い焚きなしの部屋で、カップラーメン食べてそう。

生まれた時から東京人なので、恵比寿だの六本木だの品川だのに憧れる気持ちは全然なく、それらの街も池袋と同じテンション同じ格好で行くので、地方出身者の都会に対する憧れとは少し違って、ただ段階を踏んでるんだと思う。上京して初めて勤めた会社が赤坂!とかだったら調子にのるかもしれないが、いちおうこれは地に足のついた池袋ディスなのです。まあ、まじどうでもいいな。

 

と言いつつ、今日も行ったけど。人多すぎてびっくりした。

 

こういう、逃れられない感じ、逃れられない街、誰にでもあるんじゃなかろうか。とくに都会人は。東京23区内って、2時間くらいあれば東西の端の駅はいける気がする。西の端は大泉学園とか成増あたりでしょうか。東は今路線図アプリみたけど新柴又あたりでしょうか。2時間あれば行けますね。だから、板橋区出身者が葛飾区に住んだところで、逃げられないのだと思う。どんなに池袋から逃げようとしたって、東京の東の会社に通ったって。

最近、一人暮らしを強烈にしたくて、どこに住むかを考えているけれど、今の生活をなるべく崩さず、かつ、いまよりも会社に近くなるためには、やはり池袋に住むしかなく、それって大学時代に戻るようで、うーん。東京出身者が都内で一人暮らしすることのメリットのなさに打ちひしがれている。自立しないとやばいという圧力がどこかからかかっているのに。

 

きっと一人暮らしをしたいという欲望の中には、別の欲、たとえば仕事への不満をどうにかしたいとか、女友達との関係がもやもやするとかそういうのが混じってて、綺麗な欲望?じゃないのだと思う。ほんとうにしたかったらべつに池袋でも住みますからね。だから、一人暮らしをする前に、つまり稼ぎが全て可処分所得となっているうちにやりたいことを列挙して、それがぜんぶ終わっても家を出たかったら出よう。マイリミットはあと2年、オリンピックは一人で観られる状況を作りたい。

 

じゃあ何から始めるか、といえば、ていねいな暮らしをしたいというしゃらくさい言葉が最初に出てしまうけれど、とにかく無印良品の収納を揃えるところから始めようと思う。ブランド揃ってるだけでそれっぽいし。良品計画ファストリがなくなったら私の生活は死ぬので、頼みます。

 

すべりだいの歌詞を再発見する

あまりに好きすぎると好きなものそのものになりたいと思ってしまう、そういう話をいくつか読んだことがある。

例えば、わりと有名だけど上田啓太さん。いつもaikoになりたいと言っている。

私の中にはaikoがいるという、端的で力強いパワーワード

 

そして、藤原麻理菜さんも言っていた。

私はギャルになりたすぎて心の中にギャルが住んでいるという。わかる。わたしもやたらとギャルになりたいって発言してしまう。ほんとうにギャルになりたいんじゃなくて、好きなようにメイクして好きな服着て輝きたいというささやかな願いです。

she isというこのサイトもおすすめ。OLやめたくなる。

 

さらに、雨宮さんも。

大和書房・WEB連載〜40歳がくる!MOB 雨宮 まみ vol13

私は好きな相手そのものになりたいと思うことがあるなんて、雨宮さんにしか書けない。

 

※関係ないけど、やっとブログカードの挿入を覚えました。。

 

好きなものそのものになりたい、もしくは、好きすぎてなりたいが、もはや心の中に住んでしまっている。正確に説明することは難しいから、個々人の例でしか説明できない、この感覚。

おもえば、たしかにわたしのなかにも椎名林檎が住んでいる。

 

椎名林檎を好きになって10年が経ち、椎名林檎は20周年を迎え、ますます人間でない感じになり、そして、新しいアルバムを出した。正確に言えばトリビュートアルバムなので椎名林檎は歌っていないが。

そのなかに、三浦大知が歌うすべりだいという初期の曲がある。なんかのカップリング曲。このアルバム、選曲が謎だが、やたらと古い。古参ファンに媚びようというつもりなのかもしれないが、はあ………とおっさんのつまらん話を聞かされた時の気持ちだ。

だから、正直、全ての曲が好きになれたかというと、そういうわけでもなかったのだが、レキシの幸福論とすべりだいだけは、リピートして聴いている。まあ、レキシが歌うと基本的に面白いですよね。

 

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歌詞がこれ。これだけでもうメンヘラ御用達!!!!って感じがするのだけど、三浦大知が歌うことでさらに良いのですよ。

 

話は少し逸れるけど、自分をレズビアンと思う男性の話があった。

牧村さんの記事で、これは魚拓を貼りたいくらい良かった。貼らないが。cakesは一定期間を過ぎたら有料になってしまうのだけど、この記事にならお金を払いたいと思った。内容としては、同性カップルであっても男女の役割分担を厳密に決めて振舞ってるカップルがいるように、異性カップルでも同性的に付き合える、みたいな話を、レズビアンという言葉の歴史から探った記事。

何が言いたいかというと、三浦大知が歌うすべりだいは、レズビアン男性の視点ではないかということ。

 

この話をわかりやすくするために、RIYMESTARがカバーする本能の歌詞を見てみる。

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椎名林檎のオリジナルの本能と同じ歌詞の部分は、椎名林檎の歌声を挿入する形で歌われている。間に挟まるラップ部分をカバーしている形。つまり、この歌の半分は椎名林檎が歌っている。それにRHYMESTARがレスポンスしていると考えればいいのだと思うけど、そういう意味でこれは男女の歌なのだ。同じく流行もそうですけどね。

 

対して、すべりだいは男の歌でもある。あたしを自称するレズビアンな男の歌でもある。

椎名林檎が元の曲を作って歌っている以上、これを簡単に言ってしまうのは危険でもあるのだけど。あるいは、三浦大知のなかに椎名林檎が住んでいるのかもしれない。好きすぎて、住んでしまっている。

とにかくこのすべりだいはものすごくもやもやする曲なのだ。椎名林檎が、若い20歳前後の椎名林檎が歌っている分には、面倒で手がかかる女がメンヘラ全開にしているだけに聴こえるのだけれど、もしかしてこれは男性視点でもいいのかもしれない、と思った途端に、別の妖艶さを感じるのだ。男だってすぐにでも泣き喚きたいシーンがあってもいいはずで、それをわたしはどこかで否定していたからこそ、三浦大知がそう歌うときに違和感を感じるのだろう。女としての生きづらさみたいなことをふだん息を吸うように書いているけれど、それは男の人たちの考えていることを無視したからこそ書けることで、ほんとうは性別と思考って密接に関係はしていても、1対1の関係ではないはずだ。と、そんなことまで考える。あと、単純にメロディがめちゃめちゃにおしゃれになっていて、メンヘラソングの影も感じない。すごい。

と、ここまで一息に書いたけれど、三浦大知がカバーしたことでわたしはこの曲を好きになった。初めて聴いたのは私と放電という10周年記念のカップリングベストアルバムだったけれど、そのときはそうでもなかった。

 

許されるなら本当はせめて すぐにでも泣き喚きたいけど

こだわっていると思われないように 右眼で滑り台を見送って

記憶が薄れるのを 待っている

 

この部分、ほんとうによくないですか。どういいのか、書いたら野暮になるけれど、書く。

本当はせめてすぐに泣き喚くって、けっこうやばいメンヘラである。メンヘラという単語に全てを託してしまうけれど、大人、そんな簡単に泣き喚けない。しかもこれ、終わった恋愛についてである。終わった恋愛について泣き喚くって。

こだわっていると思われないようにみるすべりだい、これは思い出のすべりだいではないんじゃないかと思う。思い出のすべりだいってなんだよって話だけど、滑らずに済むような気がするという歌詞を書くためにここはすべりだいがキーになっているとわたしは思っていて、ほんとうはなんでもいい。わたしだったら、、、と思うけど、特に経験はなかった。まあ、そういう、ふたりで何度も行った場所とか、いつも待ち合わせに使っていたランドマークとか、そういうものだと思う。そしてそれそのものじゃなくても、類似のものを見ると終わった恋愛を思い出してしまう。もしかしたら恋愛で無くなった後もふたりで会う機会はあるのかもしれなくて、呼び出されたら付いていってしまって、連れていかれたしゃらくさいカフェの窓からすべりだいが見える。当時の、きっとお金がなかった時代と、全然違う街、違う風景なんだけど、妙に昔のことを思い出してしまって、端的に言えば泣き喚きたくなって、でもそれは許されないのだ。許されないけど、今ならもう少しうまくいくのではという思いは消えなくて、だからじっとすべりだいを見送って、記憶が薄れるのを待つ。待ったところで薄れませんけどね!

 

半分以上妄想だけど、こういうシチュエーションって男女問わずあるんじゃないかと思う。男の人はここまでセンチメンタル全開にすることを許されないのかもしれませんが。だからこそ、めちゃくちゃおしゃれな曲にアレンジして、かっこいい男性であるところの三浦大知が歌っているのかもしれませんね。そこがみょうにえろくなるというか。とにかくいいアレンジだと思います。

最初に聴いたときはすべりだいと滑らずに済むようなってダジャレかよ!!つまんな!!としか思わなかったのですが、10年経って自分の感性も少し磨かれました。

 

この間も何かの記事にメンヘラ系ラブソング大好きということを書いたのだけど、どうして共感できるのだろう、といつも考える。わたしにはうまくいかなかった男もいないし、生きているという真実だけで幸福になれるような男もいないけど、なぜか刺さるものがある。この感覚ってすごく大事だと思っていて、べつに椎名林檎はまったく一般的な感性の持ち主ではないが、他人に共感するって人間に残された最後の大事な能力な気がする。もうたぶん、人間がやるべきことってどんどん減っていって、人間関係だってそのもの必要じゃなくなるのかもしれないけど、その中でも共感性の高い人ってずっとモテるし好かれ続けるんだろう。そして、共感って最後の社会性だ。

そういう意味で、ますます完全生命体をめざしているわたしにも、最後の能力は残されているし、これからも育んでいけるのかも、と大きな話を考えるのだった。

 

本当は別の記事にしようと思ったけど、分割するほど書くこともないのでここに書いてしまう、この間男の子と出かけた話を書いたが、同じ人と今度は銀座に行った。

銀座って、名前を聞くとハードルの高い街なのだけど、行ってみるとけっこうぐちゃぐちゃしていて、古い建物も多く、まあ買えるものは売っていないけどふつうの街だと思う。GINZA SIXに行ったら目抜き通りが流れていて、椎名林檎は新宿から銀座の女になり、池袋から終電で帰ることもないんだろうと思った。わたしも少しは東京の東側に行くことができるようになった。

また、食事をおごってもらって、わたしはお金を下ろして行ったのに小銭しか使わないで帰った。端数を払う女。まあまあ、たまにはおごられなよと言うけれど、わたしはふだんの飲み会でもほとんど出すことはないし、相手はお酒を飲まないのでわたしだけ酔っ払っているし、ひたすらに申し訳ない気持ちしかない。しかも、今回何かプレゼントを買っていこうと思ったのに忘れた。つくづく自分にしか興味のない女だと思った。

銀座は楽しかったし、また行きたいと思ったけれど、すぐに女友達に報告することがないという思いに至って、芸人として暮らしてきた業のようなものを感じた。日常の全てが他人への報告用とそうでないものに分かれてしまっている。インスタグラムにアップするように写真を撮りに行くのと変わらない。いかに自分が面白い日常を過ごしていると相手に思わせるか。それは相手に対するエンタメの気持ちを超えて、ほぼマウンティングになっている。そしてなぜか同時に、面白い報告をできなくて申し訳ないという、あまりに不必要な感情に支配されている。あんなに楽しかったのに、汚い別の感情に汚染されて、思い出が上塗りされるのを感じる。

わたしの日常を面白く無くしてしまうのは、わたしだった。

 

わたしはすぐにこうやって他人のネットの文章を引用したり、歌詞を分析したり、大学時代依存症の歌詞でレポート書いたこともあるくらい思考の塊の女だけど、相手はこの何分の1も考えてなくて、もっといろんな人とデートしなよとか言いながら、またデートしてくれますか?と聴けば快諾してくれるし、わたしの隣の席の人が大好きというしょうもないプレゼンを聴いてくれる。優しくないわたし、考えるわたしには優しくてあまり深いことを考えない人のことが分からない。分からないから面白いし、もっと一緒にいたいとも思うのだけど、たぶん相手はそこまでも考えてなくて、わたしばっかりデートのたびに反省文を書いている。

 

銀座のことを思い出し、しぜんと笑顔になっている自分がいて、仕事中に出ていなければいいのだけど、うわ〜〜〜!!!!と叫びたい気持ちになる。好きじゃん。女友達と出かけたことなんてすぐに忘れるし、ドタキャンされようがどうでもいいのに。相手の自分の中でのポジションが大きくなるたび、向こうからしたらきっとわたしのことなんてどうでもよくて、わたしがあなたを好きなほどあなたはわたしを好きじゃないですよね、わたしへの返信よりアマゾンプライムですもんね、知ってますよ〜〜〜〜みたいな気持ちになる。みたいなっていうか、ジャストこういうことを考えた。めんどくさいし、ネットにだらだら書くことでもない。こんなに他人に対して興味を持つようになった自分も驚きだし、もう少し相手を増やして分散させたほうがいいんじゃない?ともう一人の自分にささやかれています。もう、くどくなってきたのでこの辺でやめる。そして、勢いで投稿します。