わたしの人生語呂合わせ

OLの穏やかな思考

ソフトボール悔しかった!!

ソフトボール悔しかった。

 

 

ほんとうにただそれだけです。

ツイッターもないし、たぶん周りの人も観てないと思うので、ここで書きますけど……

 

こんなに言葉にならない試合、なかなかない。

あの、北京オリンピックの413球、このあいだのことのようなんだけど、もう10年も経っていて、マウンドにはまだ同じ人がいて、良し悪しはあるとは思うし、それはこれから議論されることだけれど、ずっと頂点に君臨し続けることの途方もなさを考えると、もう言葉にならない。

 

北京オリンピックのことはなんとなく覚えてて、え、まだ上野由岐子なの?って思った人多いと思うんだよな、わたしもそう思った。選手層の問題なのか、上野由岐子が圧倒的なのか、そのへんは知らないけど野球では(プロ野球をわりとみるので単純に比較しちゃうけど)ありえないこと。澤穂希とか木村沙織とか、想起した。

 

やっぱり上野由岐子が投げたからよかったんでしょう。上野由岐子が投げて負けたから。認めたくはないけどそういうことなのかも。

 

ありがとうございました。こんな試合を観られてほんとうによかった。

 

かっこいい女たちを見ると、とてつもなく元気になります。勝手に元気になります。

もはやブスでありたい

8/13追記:懲りずにまた思ったことを最後に書いてます。女の容姿の話、いつまでもできる。

 

 

むかし、人生で初めてパーマをかけた時、ハリセンボンの近藤春菜に似ていた。ほんとうに似ていた。

いまもパーマをかけているが、髪が長くなったからか、特に似ていない。

 

どちらかというと化粧していないときは山崎ケイに似ている。

 

山崎ケイはいつか炎上するんじゃないかと、同じブスとして心配していた。

もうまったく、なんの抵抗もなく、事実として自分の容姿を劣っていると思っている人って結構いるんじゃないか。それくらい、容姿の良し悪しは世間の基準として強固である。すくなくともブス側にいるわたしはそう感じる。

山崎ケイが何を考えているかなんて知らないが、ブスなら別の路線で売ろうと思って芸人をやってるのではないか、というより、そうであって欲しい。ブスの生き残り、図っていこうな!と、顔が似ているブスとして肩を組みたくなる。

 

ブスという言葉は、だいすきカレー沢先生も言っていたけど、女を呪う言葉だ。どんなに中身が美しくまともでも、ブスというだけでマイナス8兆点だし、逆に美人でも性格が悪ければ性格ブスと言われる。見た目も中身もブスな、損している側の女もいる。

自らをブスだということは、自分で自分を呪うことだと言われるが、これは一部外れてるんじゃないかと思う。というのは、ブスという言葉にマイナスイメージを乗せているから、ブスであると自称することを悪と考えるのであって、ブスという言葉自体へのマイナスイメージを抱いていない人からしたらそれは単に事実だからだ。

 

もう少しちゃんと説明する。

 

ブス、というのは、顔のパーツの配置が時代の先端を行きすぎているとか、そういう人、特に女に対して使う言葉であり、積極的に使っていいかというとそうではない。他人には向けないほうがいい。命が惜しければ。

しかし、ブスが悪、というのは、見た目が悪いのが悪、ないしは、見た目が悪いことを指摘するのが悪、ということであって、ブスを否定するものもルッキズムにとらわれているのではないかと思う。

自己肯定感をもって、まともな大人として生きていくために、自らを美人ということも、ちょうどいいブスということも、もちろん勝手だし自由だが、世の中顔じゃないと思っているならばむしろ、誰の容姿に対してもいっさいの発言をしないほうが大事じゃないか。そして、自分が自分をどう思ってるかなんて世の中にわざわざ表明する必要ない。

 

ブスな女が自らをブスと称することよりも、お前の自意識の相手をさせられていることのほうが不愉快なのでは。そういう意味で山崎ケイが炎上することは必然である。お前のブス界隈でのポジションに誰も興味はない。ただ、顔が似ている者として、わりと親近感はある。ブス界の希望をともに担おうな!

 

わたしはわりと自分をブスと思うが、正直それ以上に自分の見た目とかどうだっていい。化粧とか服装である程度細工ができるし、肌が汚いのは完全に受け入れられないが金をかければどうにかなる。それはぜんぶ自己満足であって、他人にブスと言われないためではないし、むしろわたしは事実としてブスなので、ブス界にとどまりたい。見た目が良くないことはわたしのアイデンティティの一部である。

 

美人だったら努力しなかったと思う、男がいないことにもっと絶望してたし、一人行動も苦手だったかもしれない。ブスに生まれてよかったことの方が多い。石原さとみなんてまっぴら。池袋を堂々と歩けないでしょう。

 

どうでもいい男からの性的目線を浴びたことがないが、そういう幸せが確かにこちら側にはあって、だからわたしは自分の見た目が悪いことをあるいみ誇っている。 どう考えてもセクハラ野郎は死ぬしかないが、被害者を責めるつもりはまったくなくわたしにはそもそも矛先がほとんど向かない。顔以上に性格が悪いせいだと思うけど。性格が悪いってのも、べつに欠点でもなんでもないと思う。人に騙されないってことなので。

ブス、ほぼいいことしかない。恋愛体質な人は知らないけど、他人に興味がない人にはおすすめ。

 

YouTubeで自らをブスと称する女が化粧で変わっていく動画をたくさん見て、ブスデータベースが蓄積された結果、みんな化粧しなきゃある程度ブスじゃんということに気付いた。それは女同士の壁を崩すことであり、世の中のルッキズムに対する抵抗である。

女ども、美人になるんじゃなくて、ブスを全力で愛するプランでいこうな。

 

 

8/10追記:

ここまでの文章は怒りと勢いで書いてしまった部分があり、ネットニュースレベルだけどニュースに目を通し、冷静になって追記してみる。

 

自らをブスと称する権利もある、みたいなことを書いたけど、わたしの中にもルッキズムは確かにある。見た目なんて良いほうがいい。美しいものの方が見ていて穏やかな気分になれる。

ただ、わたしは自分が美人に生まれなかったことを恥じても後悔してもなく、むしろブスだったおかげでこの性格になったのでよかったと思っている。あんまりブスブスいうと親に悪いかもしれないが、わたしにとってブスはポジティブな意味である。

ブスであるおかげでセクハラも受けないし、痴漢にもあわないし、まあ、甲子園のダンスCM(高校生が踊ってるやつ)とかみると、失われた青春に気絶しそうになるが、それはわたしが女子高出身だから仕方ない。

 

そういう意味で、山崎ケイも自らの容姿を本気でちょうどいいブスだと思ってるのではないか。他人から言われたちょうどいいブスという言葉が、自分にハマったんじゃないか。ちょうどいいブスとして自分を売ることは、自分に対する仕事上のレッテルを貼ることであり、覚悟の上じゃないとできないことだと思う。だから、芸風は変えないでください。ほんとうに自分をブスと思ってるかどうかはまた別の話だからね!!

 

とりあえず、カレー沢先生のブスシリーズ書籍2冊を、読んでください。

なんか、アマゾンが貼れないのですが、ブスの本懐ブスのたしなみの2冊です。

 

あと、

女の自意識に大企業がいちいち付き合ってんじゃねえ!!

 

女は自分を値踏みして世間の中での立ち位置を決めたいものなんですよ、これはブスと称することもその中に入っていて、そんなの女の習性みたいなものだから無視していい。自分を評価しない女がいたとして、それはわたしの思う女ではないがそいつが自分をどう思うかは勝手にしろ。

大企業が女の容姿をブスといったことに対して批判が集まってるみたいだけど、それはブスじゃない方がいいから?というところがわたしは引っかかっている。見た目が悪いのは悪いことで、それはわざわざ指摘しちゃいけないから、指摘したことに対して炎上してるということなのか?いやいや、もともと顔がまともなら化粧とかしませんよ………。

 

ブスだって人権はあるだろ!!!

 

ブスである権利はないの?女はみんな美しくなければいけないの?

 

女に対して、自称、他称問わずブスということは、たしかに推奨されないことではあるけれど、だからといってわたしが自分のことをブスじゃないと思うようにはならない。ブスじゃないと思ったことはない。顔がブスだからこそ、中身を磨いて社会の一員になろうと思ってきたから。自らをブスと称することは、新たな呪いによって見た目の呪いを解除することである。

そういう意味で、自らを美人というのも同じこと。自分にレッテルを貼ることによって、自分の社会的地位を固めること、それは容姿以外のところで勝負することでもある。

 

容姿に興味がないから容姿をネタにしてるのに、それをCMにしちゃうのはまあ、炎上必至かな……。でも周りが怒り狂う必要はないと思います。

 

ブスってもっと、フラットな意味で使われてもいいと思うんだよな。美人だって常に褒め言葉ではないわけだし。美人の対義語はブスじゃないですね。

 

美人は美人で苦労してるんだろうな、とも思う。自分が乗りたくない土俵に乗せられてしまうこともあるだろうし。美人はちやほやされてきたから性格が良いみたいなことを言う人がいるけど、ちやほやが是という考え方がまた、男目線のルッキズムですよね。ブスはブスで、この世で生き残るための愛想を日々身につけているのでは。容姿は変わらないものだから褒められると嬉しいという話もあるけれど、まっぴら。自分が興味ないところを指摘されても仕方ないでしょう。服装とか化粧とか髪型の方がいい。変えられるから。

 

通勤時間を賭して書いた割に、べつにまとまってなかった。とにかくブス界で生き残りたいです。

 

8/13追記:

女の自虐は批判されやすいので、飲み会で間違ってわたしブスなんですよ〜なんていう旧石器時代ギャグをやろうものならその場を氷河期に引き戻すことができる。そんなことないよ〜を誰が初めにいうか、そのボランティア精神が問われる。

女同士であればわたしは確かにあんたクソブスだよね!と言ってしまって欲しい。かわいいとか綺麗とか、そういう評価はたいへんありがたいけども、やはり美しきことは良いことという考えに基づいているわけで、手放しでは喜べない。(もちろん、さすがに社会的な生き物なのでその場では喜ぶ)

 

あんた、クソブスだけど生きていていいよ、と言われたい。いまより綺麗になればそれはそれでハッピー、だけど見た目が綺麗かなんてどうでもいいよ、と言われたい。というかわたしはそう思っている。見た目がクソブスで性格が極悪だろうが生きていていい。ポジティブ志向ファシズムはほんとうにやめてほしい。

 

美に向かって努力しない女は、努力できない女ではなく、美のプライオリティが低いか、または、美の追求のやり方がわからない女である。

平坦でもイケメンは尊い

部屋探し中である。

 

東京は駅が違えば街が違うので、部屋探しは駅が基準になる。山手線とか、あまり住むところはないが駅ごとの違いが顕著である。とくに池袋と目白とか。渋谷と恵比寿とか。恵比寿は渋谷と同じ渋谷区として一緒にされていいのだろうか。

 

地方の人って、つまり駅が関係なく車で生活する人ってどうやって住むところ決めるのだろう。車だとスーパーの距離とかあまり関係ないだろうし、あと、ショッピングモール多いから生活が成り立たないことって山奥じゃない限りないように思う(わたしはほんとうの田舎に行ったことがないのでわからない)。

 

ターミナルに近い駅だとほんとになにもない街ってある。東京だからこそ。

そう考えると、北千住は奇跡のバランスを保っている。上野という東東京の入り口が数駅のところにありながら、自らのポテンシャルも高い。駅から遠いところにしか住めないのが難点(駅前が発達しすぎているため)。南千住のほうが、駅前の便利感は強い。南千住、住みたい。

 

部屋探しは街の発見でもある。わたしは初めて東東京と向き合っている。西東京はとくに見るものがないし、駅によって街が違う度合いは低いし、面白くないのでそろそろ出たい。

 

不動産屋に対してめちゃくちゃもやもやしながらも、もうしばらく探すつもり。

 

新しくなくていいから、駅からの距離が近くて外からしのびこめなさそうなところがいい。満員電車は構わないけど会社からタクシーで帰りたい。

 

全く違う話をする。

 

毎月の癖でファッション誌を買う。ファッション、美容、インタビューをなんとなく読む。今回買った号はインタビュー部分が多く、若い男性がたくさん載っていた。

 

イケメン、紙の上でも輝いてんなあ。

 

これまで感じたことのない感覚だった。

 

紙の上に印刷されただけの、インクの粒でしかない彼らがものすごくかっこよく見えた。実際かっこいいんでしょうけど、しかし動かない喋らない、サイズが大きいわけでもない。何センチ四方かの小さな彼ら。なんだかめちゃくちゃイケメンだった。なんで。

 

さらに、ちょっとだけどきどきした。見つめられている気がして。

 

言っておくが、雑誌にいた彼らのことはわたしは特別好きでもないし、好きな顔でもない。わたしが好きな顔は坂口健太郎で、載っていたのは竹内涼真とかあとはジャニーズ?の男の子たちだった。要は巷では有名だし知っているがそんなに興味ない枠である。それが、開くたびに緊張するのだ。開くたびに竹内涼真と目が合ったのでは?という気になる。

 

頭がお花畑なのか、面食いなのか、突然ホルモンバランスが崩れだしたのか、部屋探しのストレスなのか知らないが、とにかく彼らはイケメンである。イケメン、とてもよい。世界を救う。ブスはブスでイケメンを立てる意味で必要だ。この世にはみんな必要だ。 ?

 

突如として輝きだした彼らはなんなんだ。説明できない感覚である。再度いうが、たしかに前からかっこいいとは思っていたがとくに興味がない範疇の男性たちである。そもそもわたしは男性に対する興味が薄い。いまは部屋探しと断捨離と土曜日に来る机のことしか考えていない。そこに挟まれた謎のイケメン。

 

雑誌の技術が上がったことにして、とりあえず寝る。

 

 

働く女は滑稽か

聞きかじっただけのニュースなのでああだこうだ言うのは良くないけれど、某大学が女子の入試点数を操作していたという話。平成も終わろうとしているのに、まだ何も変わってないのだな。どころか、悪くなってるのかもしれない。

 

女は結婚や出産で仕事から離れるから、という理由、これはすべての女に対する差別と侮辱である。すべての女がそれぞれの生き方をすることを否定している。そんなこともわからないか、と絶望するけれど、そんなものなんだろう。女は結婚して出産するもの、という考え方が根強くても、もう仕方ない。そんな輩に付き合ってる暇はない。

 

さいわいというべきか、当たり前というべきか、わたしが所属?するIT業界は男女の差別意識が低いと思う。女性営業も多いし、ワーママもある程度いるし。理由はわからないが、男女ともに過労で病みまくるという環境がすべての人に優しくさせるのか。なんて。

女が過労で病みまくることは、もちろん健康的ではないしできればない方がいいが、入試の点数を操作されるよりは男女平等なのだ、悲しいことに。

 

どうせやめるのに必死に勉強して大学なり就職なりする女は滑稽だろうか。

 

後輩の男の子から就職が決まった報告が来た。就活をするとこの世の男尊女卑に絶望すると思う。営業職に応募すると高確率で女性で営業はなあ………という顔をされるので、ぜひわたしは吉田沙保里さんに大手企業を受けてもらいたいと前々から思っている。たぶん吉田さんならたいていの新卒の男よりは強いので、企業も採用せざるを得ないだろう。なんせ霊長類最強のふたつ名が付いているから、どんな現場にも出せる。あと、本人はとてもかわいいので、きっと一緒にいて楽しい。

 

女だから、と生まれつきのものを理由にすることは、女たち、女でありたいがギャップのある人たち、その他すべての女成分をもった人たちへの等しい差別である。女のくせにと言われることで逆説的に自分が女であることを責めるというひねくれだっているのだ。要は、ひとりひとりでしかない。

 

働く女として、どうせ辞めるからいらないと言われたらどう思うか、考えたけれど脳が思考を拒否していた。わたしは、結婚とか出産とか、プライベートによってパブリックの仕事を侵食したくないと考えるし、もしどちらかしか取れないなら仕事を取る。職場にはハラスメントおじさんしかいなかったとしても。

自分がハラスメント加害者にならないよう、真剣に気を遣って生きているのに、世の中にはそんなことどうでもいい人はいて、そうやって何も考えないのは自由だが、それを表に出すとただ馬鹿が露呈するからやめたほうがいい。女であることを理由にすることは思考の停止である。まったくの無能である。

 

さらにいうのであれば、これは男性に対する差別でもあり、男は働き続けなければならないという呪いでもある。男たちだって労働を休むことはできる。単に仕事をしないことだったらできる。それを許さないということだ。男を労働に縛り付けて、女は追放して、どうするつもりだ。全員がひたすらに不幸でしかない。

 

生まれもった性別のせいで労働が制限されることは理不尽でしかなく、男でも子育てに専念したいと思うことができるし、女でも配偶者に子どもを任せて海外赴任したっていい。選択肢を奪っているのはいつも社会であり、結婚で仕事を辞める女はきっと、旦那さんはあなたがバリキャリでいいの?という目で見られていて、子どもがありつつ働くようであれば子どもがかわいそうといわれている。結婚して子どものいない女はいつ産むの?と言われ、独身女は人権がない。独身女の人権は25を過ぎたあたりからなくなるので、いつまでも人権が欲しいならガングロギャルとか、あまり数が多くない路線を狙うしかない。

 

女子の点数を操作しなければならなかったということは、女子たちはかなり優秀ということだろう。稼げるようになるまでかなり長くかかる医者という職業を選んだ時点でかなり尊敬するが、さらに将来役にも立たない受験勉強をたくさんして、いくつも受けられない医学部を頑張って受けて。その努力を考えただけで、弊社に来ればそこそこになれると思う……という頭の悪い感想しか浮かばなかった。

高校生とか若い人たちの選択肢を奪うことでもあって、とにかく許されないことだ。こういうことがあったということは、ぜんぜんフェミニストじゃなくても、差別主義者でも記憶しておくべきことだ。性別によって人生の選択肢を狭めること、それは生きていていい人間を勝手に選んでしまうこと、ナチスみたいなものだ。あえて過激に言うならば。

 

相手にしなくていいものに真剣に怒ってしまった。睡眠時間を無駄にした。しかし、何か言わないと眠れないような気がした。ほんとうはもう少しちゃんと、何がダメなのか書きたかったけど、最後は結局アレント悪の凡庸さの話になってしまう。ここぞとばかりに働く女の先輩の言葉を使ってしまった。

 

女は女であることで減点されているのだろうか。それならばわたしは性別なんて持ち物今すぐ捨てるし、何でもないものとして生きて行く。

 

7月は忙しいと言っていたら終わった。

忙しいって言えば言うほどパーキンソンの法則で仕事が増えてく気がするし、忙しさって処理能力の低さな気がするのであまり公にしたくない(残業時間でバレてる)。終わってみれば時間外労働はそこまで多くなかったけど、それは直帰を駆使したから……という7月について。

 

さて、忘却してはいたが目標を立てていたのでまずそこから。

 

嫌なことを後回しにしない。

マイハックをためておきたい。

インプット時間を減らす。

IT技術の勉強をする。

可処分所得を一定に。

 

1ヶ月に5つもできるわけねえよ!!

目標初心者ありがち。

 

できたことは、最後の可処分所得を一定にするだけ。先週給与が入ったけど即天引き(物理的な口座振替……)、親に入れる、でお金を持ちすぎないようにした。これは継続。

 

できなかったことも振り返ります。

 

まず、ひとつめ。嫌なことを後回しにしない。これは、嫌な仕事が今月半ばで終わったため、矯正的に解放されたわけだけど、この目標を書いた後にさらに忙しくなり、向き合わざるを得なくなったという形だった。私生活面でも、酷暑のため外に出るのをやめ、家でYouTubeばっかり見てたので、目標達成とは言いがたい。でもこれはそもそもがマイナスの表現で、達成しても嬉しい感じがしないため、今月はやめ。

 

ふたつめ。マイハック。

仕事術なんてたまっちゃいねえよ!!!

なのですが、先週タイムマネジメントの研修を受けて、わたしは行き当たりばったりなんだということがよくわかったので、そこを改善すれば良さそう。

自分がどんな人間かわかるだけで、問題は解決したようなものなんだな〜!という発見があった。この目標自体は、自己啓発っぽくてださいので今月はやめ。

 

みっつめ。インプット。

まあ、YouTubeばっかり見てたので………。熱中症になるよりはましでしょう。これもやめ。休みはなるべく何もしたくないし。

 

よっつめ。勉強。

今月からやるよ。

これも強制といえば強制だけど、会社の方針もあってスキルアップしなくてはいけないため……。

まずはインフラの勉強から。とくにネットワーク(なんでパソコンでインターネットできるのか説明できない)。

 

ということで、今月は。

ネットワークはじめインフラの勉強をする。

本は買ってあるので、読むだけ。

可処分所得を一定に。というより、固定費を一定に。

ほんのちょっと贅沢ができるだけ残す。

 

とりあえずふたつだけにしときます。

 

人の気持ちがわからないんじゃなくて、親の気持ちがわからないのでは?

7月を振り返ってる場合じゃない、わたしの中で。

 

向き合いたくないことに向き合わされる。

きょうは2時半に寝ても仕事ができることがわかった。クオリティはめちゃくちゃ下がったけど。たぶん自覚してないところで下がってるけど。

 

不動産屋に行った。思っていたより悪い人たちではなかったが、閉店間際でわたししかいなかったのでみんなこぞってわたしの接客をしようとした。それが普通なのかわからないので滑稽だった。週末、3週間ぶりに外に出る用事ができた。最近の週末、顔すら洗っていない。前回外出したのは爪をやるためで、暑すぎて爪をやってすぐ帰った。その前に外に出たのは覚えていない。

 

初期費用の目安の紙を持って家に帰った。いちおう親の許可を得なければ東京人は引っ越しすらできないからだ。ある部屋の間取りはわたしも少しおかしい(はいってすぐ居室で奥にキッチン)と思っていたのだが、防犯上どうなのかという話を散々された。あとは家賃が高い、立地が悪いとか。最終的にはあなたが選ぶからと言いながら、たぶんそんなことひとつも思ってない。

あなたももう話し相手になってくれないのねと言われた。本当に怖かった。わたしの存在は話し相手でしかないのだと思うと悲しかった。そして理解できなかった。

 

昔の話になるが、地方の大学を受けようとしていたことがあった。そのときは親に部屋を先に決めてもらった。もし受かったとしてそれからでは間に合わないからだ。

結局その大学は予定通り落ちたので、ほぼ地元である私立大に通うことになったが、そのとき親はあの部屋には住まわせたくなかったから良かったということを言った。

わたしは選んだ大学に関してまったく後悔はない。それは誰がどう言おうとそうだ。落ちたときはそこまで思っていなかったので、親の言葉はもちろん慰めだとも言えるのだが、それでも悲しかった。なんでそんなことを言うのかわからなかったから。

 

毒親支配下から独立した人たちの話を読むのが好きだ。単純に、人の不幸話が面白いというのもあるけど、それ以上に彼ら彼女らの言うことがかなり似通っていて、親という生き物がなりがちな傾向を感じるから。

自分の親が間違っているとは誰でも思いたくないものだが、というより、間違っていたらどうしようという気持ちになってしまうものだ。自分はその家のしきたりをある程度内面化しているわけだから、親を否定することは自分を否定することになってしまう。別の個体のはずなのに、もう一体化している。

その一体化から逃れることが、親の支配下を外れることなのだろう。

 

わたしは子離れしたから、あなたも親離れしたほうがいい、と親は言うが、わたしはそうは思わない。どちらかが離れればいいわけではなく、お互いが逆方向に歩むくらいの勇気がないとだめ。

 

左利きを矯正する親がいる。それぞれの親の方針はどうでも知らないが、矯正された人の話を聞くとぞっとしない思いがある。わたしの弟は左利きだが特に何もしていないため生活を左手でしている。特に違和感はない。たしかに、世の中が右利きナイズされているとは感じるけど。

生まれつきのものを直そうとするという意味では、たとえば性指向が異性でないことを病気とみなすことと似ている。それでもやっと認知されてきたが、まだ同性愛は治ると思っている人はいる。

 

そういう、目に見える方向づけもそれはそれで迷惑なのだが、子ども自身が気づかないまま洗脳されるのは、目に見えない方向づけだと思う。そしてこれは、子どもが自分で呪いを解くのが難しい。

大学だの会社だのといった人生の決断に対し干渉されるのであれば、それを振り払うことは不可能ではない。が、日々の服装だとか食べるものだとか、そういう瑣末なこと、ひとつひとつは大きくない決断に対し干渉されることは、子どもが気づかないうちに自分では何も選択できなくなることにつながるのではないか。

 

そう思って気づいた。23歳も終わりに近づいて始めて。わたしの親も、わたしをコントロールしようとしていた、それは本人の意識、無意識に関わらず。

親がいつでも味方というのは、親側の嘘だ。

 

この話結論はないんですが、そら恐ろしいなと。そういう話です。向き合うほど精神削られるのでこの辺で。

 

次こそちゃんと振り返りを書く予定。

 

 

 

本当に家を出たいのか

忘れないうちに次回予告をすると、7月の振り返りと8月に向けてを書こうと思う。立てた目標は全く忘れてたけども。この忘れっぽさ、性格なのかなんなのか。生活必需品もよく買うのを忘れて、1週間洗顔料がないとかざらにある。

 

しょっちゅう書いているが、家を出たい。

 

家といっても戸建ではない。戸建ではないということはとても重要で、さらに購入した家でもない、つまりは自宅は賃貸マンションである、このことはわたしの人生にかなり影響している。

賃貸マンションということは、いつでも出ていけるもしくは、家族の判断でいつ出るかわからないということだ。さいわい?我が家4人ともいまのマンションは前のマンションより気に入っていて、とくに生活が変わらない限り出て行くつもりはない。ただ、いつなにがあるかは常にわからない。弟が大学を出たら就職で地方に行くかもしれないし。とか。そしたら部屋が浮くので狭いところに引っ越すのかもとか。

もっといえば、仮の住まいという感覚もある。駅徒歩15分、1階、築20年、オートロックではない、壁とか天井が割と薄いと、全く条件がいいとは言えない我が家だが、仮の住まいだから住んでいられる。お金をかけて買ったり建てたりした家がこのクオリティだったらすぐ出ていったと思う。

 

そして、賃貸マンションとして許容できるクオリティであり、わたしの職場まで1時間であり、母親が専業主婦で家事全般を当たり前にしてくれるという環境が、わたしを自宅に縛り付けている、というか、積極的に縛られているといった方が正しい。

母親が専業主婦じゃなかったら、ダブルインカムだしわたしは家にいようと思って労働すらしなかったかもしれない。バブル家庭で良かった。

 

いま、何不自由ない。生活費も、家賃の1/3くらいは入れているけど、その中にケータイ代なんかも入っていることを考えると多いとは言えない。そもそも、10万入れてようが家で何もしないなら自立してないのと同じだ。自宅で自立できたらそれはそうとう心が強いか両親が働けないなど事情がある人だと思うが……。

という状況なので、思い切って家を出て、生活を変えて、なんなら会社にもっと近いところに住もうかなと考えている。でもなあ、ぼーっとしてたら気づいたら会社の最寄駅なんだよなあ、毎日。わりと都心のどこでも1.5時間あれば行けるしなあ。満員電車、好きだしなあ。

 

家を出なくてもいい理由、いくつもあるので書いてみる。

 

現在の自宅の立地に不満がない。

これは上に書いた通り。

 

もろもろがいまの生活ナイズされすぎている。

たとえばネイルとか美容室とか病院とかそういうものが全部いまの生活ナイズされてて、当たり前だけど生まれてからずっと池袋を身近な都会として生きてきたから、要は池袋ナイズされすぎている。引っ越すとしたら東東京なので、生活を立て直すの、だるい。

 

家事能力がいっさいないうえ、とくにこだわりもない。

親にやってもらっておきながらこだわりもクソもない。

母親はわたしが料理するのが嫌らしくて、キッチンにはあまり入れてもらえないこともあり料理は誰も家にいないときに自分の分だけ作ることがある程度。そういうたまにしか料理しない人の食事だからぜんぜんおいしくなくていつも食べるのが苦痛。これは慣れれば改善されるだろうけど自宅にいながら家事能力をつけることは無理。

 

東東京、家賃高い。

もうこれはどうしようもない。千葉とか埼玉の境に住めばまだましだけど、通勤時間が変わらないなら家を出る意味はない。ただでさえサバイバル能力がないので、いまより近くならないと24時間では足りなくなってしまう。

 

住みたい街、ない。

会社からタクシーで片道2000円以内、という条件を除いてはとくにない。まあこれでだいぶ縛られるけども。東京なんてどこ住んでもある程度危ないじゃないですか。危ない人なんてどこにでもいるし、残念なことに女だし。

まち歩きは好きでもべつに住みたいほど好きな街、ない。

 

地元最高、地元が再現された場所に住みたい。

もうこれは絶対無理。

うちは西東京の車社会との境目なので、わりと大きめな場末のショッピングモールみたいなのが近所にあって、そこがめちゃくちゃに便利なので毎週行ってる。そこだけで生活完結する。週末に外出てもそこしか行かないことがざらにある。明日もそうかもしれない。

外出るの嫌いだし、そういうところがないとマジ無理なんだけど、東東京ってそういうイメージがない。これは歩いてみないとですけども。というか、会社に近いイコール都会に近いなので、車社会にありがちなものはないよね。

ショッピングモールのことしか書いてないけど、隣駅まで行けばわりと大きめの専門書もある本屋があったりとか、そういう点含めて地元最高。住みやすすぎ。まあ、住むための街なので当たり前っちゃ当たり前なんですけど………。東京の田舎と言われる区ですが、言いたい人は勝手に言ってくれ。俺は勝手に地元を愛す。

 

お金がもったいないとは思わないけど、やっぱりどっちかというともったいない。

引っ越しだのなんだのの初期費用くらいはたまってるし、しばらく貯金切り崩しても生きていけるくらいはたまってるから、べつにお金がどうこうって心配はない。大学時代の奨学金がきいてる。ありがとう、大学。

でも、それがわたしのためだけに消えることを考えるとやっぱりもったいない。そもそもこの引っ越し、俺得でしかないと思うとなにもかもやめだ!!!という気持ち。そう、自己都合なんだからてめえで金出せやと親にも言われてますしね。

 

親との関係、悪くない。むしろ良好。

うううううん、これが大きいよね。

前に、親に支配されてて自分では何も判断できないということを書きましたが、これは毒親だからではなくて親との仲が良いからなのですよ。仲が良いのも考えもの。考え方が合わないことがないし、(あくまで母親で、あまり会話しない父親は知らないが)一緒に買い物とか飲みとかしょっちゅうだし。いまは働いてるからあんまり時間ないけど学生の時はお互い昼間が暇な人間だったからかなりの頻度で飲んでた…。

 

そういう感じで、だらだら書いたけど、これを打破する理由はこのまま実家依存を高めたらやばいの1点しかない。何がやばいのかは正直よくわかってない。親が元気じゃなくなったらやばいとは思う。さらに、結婚するつもりはないというか、結婚のために何か準備したいという気持ちがないから家を出るきっかけってほんとにない。やばい。

結婚しなくても一人暮らししたほうがいいんですよね、わかります。将来の夢である完全生命体をめざすためにも、自分のことを自分で片付けられる人になるべきなのはわかる。実家暮らしって絶対完全生命体じゃない。やばい。

 

お金の自立ってふつうに働けばできるので、精神的とか物理的な自立の方が難しい。東京出身者あるあるではないですか。東京に住むとこあるのにわざわざなぜ出るのか。その疑問を打ち崩すくらいの実家依存の恐怖をわたしはまだ感じていない。これもいま自宅で書いてるけどそもそも、上に書いたようにこの部屋は自宅であって実家じゃねえ。

 

23歳と8ヶ月を先日迎えまして、まだまだすべきことをしてないなあと。まともに恋愛したこともない。親への依存も止まらない。仕事では人に怒ってもらうことを心待ちにしてる。誰かわたしを止めてという気持ちがどんどん酷くなってる。毎晩帰るたびに用意される夕飯に申し訳なさはありつつも、まあ、専業主婦だからな…….という謎の言い訳をしている。お前がいうことじゃない。亭主関白か。我が家は労働者の地位がめちゃくちゃ高いが、その地位を決めているのは母親のため、実質母親が頂点。

 

とにかくこの甘えた気持ち、これは私生活だけでなくて人生全般に対しての、苦労していない人間の甘えを撤廃したく、家を出たく候。そう、嫌味っぽいがわたしは苦労したことがない。というか、苦労の結果うまくいかなかった、ということがない。大学も就職も第一志望ではないが、そもそも第一志望などあってなかった。何も希望してなかった。どうでもよかった。親と先生が何も言わなければ、どんなところでも良かった。何も言われなかったので、失敗ではない。

 

要は、いい加減ちゃんと人生に責任を持ちたいというか、周りが気にいるかどうかを判断基準にするのをやめたい。友達とか対等な立場の人との関係ならだいぶましにはなってきたが、親とか上司とか先生とか、わたしの行く末を決める人たちに向けてきちんと考えを話せていない。そういう態度がいまの実家依存につながっており、へたすると何年後かに自立できなかったことを親のせいにしかねない。これは誰も幸せになれない。やめよう。

お金が貯まってからでもいい、家賃分の労働が無駄になるようなもの、という意見もものすごくあって(発言小町とかに)、確かに頷けるけどそれは若干職場遠いけど通えるし実家が戸建の人に向けたものだと思う。実家といえどマンション仮住まいなら、家を出ることにはきっとメリットしかない。だっていまの住まいだって永遠じゃないし、両親がいつ田舎に行きたがるかもわからんし。わたしにお金が貯まるかどうかなんて家族にとってすらどうでもいいことなので。

労働した分のかなりの割合が家賃に消えることに対して抵抗はなくはないが、東京あるあるだし、それが嫌なら地方で古民家でもリノベしてろって感じだ。そもそもマンション住まいなので、家賃は払うものという認識はあるかも。そして、家なんて所有するものではない。だって親が死んだ時に築30年の戸建とか残されたって知らねえもん。そのとき地元が住みたい街とも限らないでしょ。

この、築30年の戸建が残される問題についていつも考えるのだが、家を建てる時に子どもに残すつもりで建てるんだろうか。賃貸はさみしいみたいな感覚があるんだろうか。土地が安くて余っている田舎ならわかるんだけど。いやわからないけど。戸建の方が豊かであるという考えがわからん。同様にタワマンもわからん。まあいいけど、みんな自由。

 

こうやって家を出るべき理由、出なくていい言い訳をずっと考えている。なんなら仕事中も考えている。職務放棄。

たとえば家賃が払える範囲で、会社から程よく近くて、そんな部屋があったら住みたいかというと、たぶん100%ではない。家賃がタダでも。親の生力を限界まで搾り取ってやるという気持ちもなくはない。産んだんだから死ぬまで責任取れよと思わなくもない。勝手に産んどいて時期が来たら出てけとは!と思わなくもない。ちなみに、出て行けと言われたことは一度もなく、出て行くなとはしょっちゅう言われる。これが実家依存の構造。酷いわあ。

 

家を出ることがそれだけの問題じゃなくて、わたしの人生に対する姿勢に影響してるんだと思う。誰かが選んだ道をぶつぶつ言いながら歩くみたいなね。お前は何もしてねえだろ!って。やっと気付いたのですよ。自分じゃ何も選んだことないって。

 

ということで、とりあえず月曜に不動産屋に行く。