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わたしの人生語呂合わせ

延命措置みたいな最後の数ヶ月

他人は他人を変えられないでしょ?

毎月25日はコミック誌kissの発売日です。雑誌はどうせ捨てるから電子でしか買わないと決めて数ヶ月前からkindleで読んでいます。

 

目的は東京タラレバ娘だけ。他の作品も読むけれど、他の作品がめあてになることはない。いまのところ。タラレバ完結しても買うか微妙というところ。アレンとドランがすこし面白くなってきた。

 

さて、きょう発売の5月号の感想メモ。まだざっとしか読んでないのでこないだのドラマの時みたいに必要なら追記します。ネタバレます。

 

幸せって形になるの、ならないの。追い求めるものなの。

 

みたいなことが問われていた。

倫子はKEYくんにたいして、早坂さんにたいして、幸せにしてくれる男かそうじゃないかという視点を設定していたけど、幸せなんて形のないものにすがるのはやめろというKEYくんの発言。問いの軸をずらすということ。問いを無効化するという、ずるい手段。

KEYくんは、ずるい。倫子がいい女だったらふつうに恋愛してて、そうじゃなかったら、昔の嫁さんを忘れるための手段として恋愛する。後者は恋愛ではないかもしれない。利用されているだけ。でも、倫子は好きになったわけで、しかも2回目のセックスで、そう思ってしまったわけで。これは、倫子が負かされてるような。しかも、問題ないって、乗せられてんだもんな。

 

それでいて、KEYくんは倫子をどうにか引き止めようとはしてて、乱暴と言いながら迫るし、ほんとうに、せこい。ツンデレとかいう次元じゃない。

セックスと愛情って別じゃないのかな、と思ってしまう。回数でもないでしょ。ドラマの感想で倫子は喪女ではないって書いたけど、プレイガールでもない。KEYくんもプレイボーイではない。セックスのやり方を知っているだけの、ふつうの、人間。

 

早坂さん派である私からすると、もうとにかく早坂さんがかわいそう。KEYくんは絶対早坂さんに勝てると思っていて、でも会員制バーで負けてちょっと悔しいのかもしれないけど、何も知らない早坂さんはただ待たされて傷つくだけ。傷ついたもの同士だからできる恋愛もあるという早坂さんの名言は、傷ついたKEYくんを倒すことはできなかった。ドラマで早坂さんはタラレバ男にはなりたくないって言っていた。でも、メンヘラがメンヘラ同士でくっつくように、タラレバ男とタラレバ女がくっつくこともあるのかも。

 

結局、似た者同士というか、恋愛を通じて成長はしても変化はない。人は人で変わらない。そんなことまで考えて結構暗い気持ちになった。アキコ先生、倫子にどうしてほしいの?

 

 

 

と、感想を書いたところで。

昨日、大学を卒業しました。振り返ると落ち込むばかり、なんらのポジティブな思い出もない暗黒の四年間ではあったけど、つねに誰かしらが私の相手をしてくれていてありがたかった。そして、それに伴ってここも更新やめたいと思ってます。誰も見ていなくても、考えたことを書ける場があるのは楽しい。

振り出しに戻る

毎週毎週、まずはリアルタイムで観て、その直後から配信を観て、次の日以降にまた配信を観ていたドラマの最終回はほんとうに寂しい。

タラレバ娘の最終回が終わってしまった。いまの感想を率直にメモ。

 

 

原作よりもハイペースで数々の男と浮名を流している的な展開になってしまったため、尻軽女っぽく描かれてしまった部分がある気がする、倫子。

7巻発売時になんだかんだ言ってスペックに飛びつくんですねというアマゾンレビューを見たけれど、その通りになってしまったのでは。KEYくんとの絡みのシーンが少ない割にあの結末だと。一回やっただけの男ともう一回遊ぶチャンスを得た女じゃない。4巻でKEYくんがあざ笑ってた姿そのものじゃない?と、怒りを感じているのだけど、原作はどう落として来るのだろう……。

まあ少女漫画だしねと全てを諦めるしかねえ。諦めるというか、私は早坂さんの気持ちになってしまう。だって、自分から振るという形を作って、さらに、仕事仲間に戻ろうって、倫子が傷つかないように?そして自分が傷つかないように、防衛線を張って、そうやって、自分を守るってすごくすごく人間じゃないか、って。飲みの席ですら皮肉を言って場を乱す若い男よりずっとずっと大人なのに。早坂さん。どうしてそんな見る目がないの?マミちゃんと言い。

 

良かったのは坂口健太郎の笑顔くらいの話で、あれが1,2話あたりででてきた倫子の妄想だったら良かったのに。KEYくんが倫子のこと好きなのは、昔の嫁さんに似ているから、そして、自分のこと叱ってくれるからだよ。母性だよ。そんなん、親でどうにかせい

坂口健太郎が笑った…………!とクララ的に感動したけど。したけど!ほんとうはもっと鼻で笑ってほしかったけどね。坂口健太郎では、優し過ぎる。

 

30くらいで男日照りの女が、そこまで年下男に積極的に向かっていけるのかな?最後の告白シーン、ときめきもなにもない感じではあったけれど、私だったらどうだろうか?倫子は恋愛ご無沙汰な女ではあるけれど、恋愛下手だったり奥手だったりはしないのだ。タラレバ女ではあっても、喪女ではない。

 

私がこの終わり方に苛立ちを感じてしまうのは、モテない女の味方は誰もしてくれなかったからだ。僻みだと分かっている。これでモテない女だとまた別のドラマになってしまうので、落とし所としても良いのだ、分かっていて、観ていたのに。

二人がお互いの気持ちを確かめ合って、それで両思いで、ふふって微笑みあって終わるなんて、そんなの、そんなの。倫子は早坂さんを通じてタラレバ女を卒業したんだろう。KEYがかまをかけるような話し方をしたとき反応しなかった。それはある意味理想と折り合いをつけて現実を見られる大人になることでもあるのに、やっぱり若い男に流れたのは、世間の価値観と自分の幸せを天秤にかけて、自分の幸せを求めた、その結果なのか?

 

倫子さん、それでいいの?

 

笑ってるけど。それでいいのかな?

 

疑問の残る終わり方だった。これは制作側にうんぬんではなくて、倫子という架空の人物そのものに、問いたい。

 

 

3/23 追記

きょうになって落ち着いて観直したら、「俺もあんたのこと好きかも、って言ったらどうする? 考えといて」ってセリフだった。そこまで直接的ではなかった。焦り過ぎた。でも、倫子に選択権がある感じなのがやはりムカつく。笑

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飲み会芸人という短い命

お酒が飲めるようになって、まだたったの2年しか経っていない。ワインとビールは修行して飲めるようにしたが、日本酒はまだ手をつけていない。焼酎も飲まない。逆に言えば、ハイボールと果実酒とカクテルだけでどうにか回している。

2年ちょっとの間、自分ではけっこう飲み会に参加しまくっていた気がしたが、大学2年の途中まで未成年だったので思えばウーロン茶ばっかり飲んでいた。あの頃は飲み会が嫌いだった。後輩だったからお金を払わずには済んだけれど、そんなに面白くない話に相槌を打ったり、それ以上に、面白くない人間にネタにされるのが嫌だった。自分で言うオバさんと、人に言われるそれは、違うのと同じだ。

 

当然だけど、男は可愛い子が飲み会に来ると喜ぶ。ちやほやする。飲ませない。話を聞くし、質問もする。気持ち悪い空気が出来上がっている。私と比較する。私は少しだけ、わざと、粗雑でガサツに振る舞う。ネタにされている。盛り上がる。傷つくほどではないが不愉快な思いをする。私がいるからこそ、このちょっと顔が良いだけの女だって居場所があるのに。お金を払わない代償が大きすぎる。

 

いまでは飲み会における自分の立ち位置を確立することができたので辛くもない。初対面以外の人には自分を積極的に開示するようにした。もう隠しても無駄だし、せっかくの場で、お金を払って(先輩になっておごるようにもなった)窮屈な思いをしたくはない。そうするくらいなら、どんなに笑い者にされても自分から自分をネタにするほうがましだ。そうやって、芸人になることで自分を守ってきた。どうしてそんなに自分を犠牲にするのだ、と言われることもあるけれど、何度かここでも書いたように、自分を犠牲にではなくひたすら守っているのだ。

 

それでも、ふと、我にかえることはある。

 

私はこれまで芸人とか盛り上げ役とか(自称他称含め)、そういう立場でやってきたけど、これって無限にやれないよなあ、と。

 

私自身はいくつになろうと身を切ることは構わない。むしろどんどん身を切りたいと思っているし、それで面白ければ私も自己満足で幸せになれるのでウィンウィンくらいに思っている。自分が面白いに違いないという多少のエゴと傲慢さを含めてである。

年齢がついていかないとかそういう意味ではなくて、私のオリジナリティ、独創性、そういうものはいつまでももたないよなあ、ということである。

 

どんなにネタに変化があって毎回面白い芸人さんでも、一定の芸風はあるわけで毎回見せられたら少しは飽きてくる。そこを飽きさせないのが芸人さんのすごさであって、エンタメを提供してお金をもらって食っていくことの厳しさなんじゃないか。友近とかロバートのネタは何回みても笑うし、ナイツのヤホーという最初にくり出されるもっともくだらない小ネタに幾度となく引っかかってしまう。

一方で私は普通のその辺の女なので、つねに飲み会でどう振る舞ってウケるかを仕込んでいるわけではないし、飲み会はメンバーや席で雰囲気が違ってくる。用意したところで、自分も酔ってしまっているしどこまで通用するか未知数だ。

 

だからそこで私は鉄板として自虐という最大NG項目(なんでNGかというと他の記事にも書いてきたけど、自我がまともな人を不安にさせるから)を何度も繰り出してきた。まだ、私の周りでは多少は機能しているので引退する必要はすぐにはなさそうだが、いつまでできるかはわからない。

そして最近、私より面白い奴が登場したら終わりだという気持ちが増してきた。

 

卒業という節目において、これまでのコミュニティにおける飲みはだんだん最後になってくる。最後だからいつもより気合を入れて身を切るが、ふと、思う。

もし、今後もOGとしてここに呼んでもらうとしたときに、そのときも同じように面白い奴として振る舞えるだろうか?私がいなくなったあと、後継者が現れたら、私の役目は無くなってしまうのではないか?

実際には、私の後釜のような人が現れたとして、私と全く同じな訳はないから、それぞれに役割はあるのだろうけど、キャラかぶりという最も恐ろしい状態になってしまう可能性がある。

そして私はそれに備えて、日々新しい笑いを追求しなければ、と追い込まれるのだが、なぜふつうの20代女性がそこまで自分を追い詰めているのか?という気持ちにもなり、焦ってるんだかなんなんだか、わからなくなっている。

 

とりあえず、就職先に芸人がいたら終わりだ。しかも男なら終わりだ。女ならタッグを組むけれど、男なら立てなければならない。私より彼がつまらなくても、彼が最も面白いことにしなければならない。男尊女卑だろうが男のプライドを傷つけないことは、生理中の女を刺激しないことくらい大切だ。

そしたら私は、飲みたくもない甘いカクテルを飲み、もはやどの部位かわからない焼き鳥をつまみながら、合コンさしすせその劣化版を繰り出すことくらいしかできない。

 

自分を大事にすることと、自己愛が酷いことの境目

新宿御苑前、という地域が好きだ。御苑ではなく、その周辺の店たち。

あの辺りはチェーンの居酒屋はほとんどない。チェーンのカフェは19時には閉まる。そんなビジネス街にあるのは、個人経営の小さな居酒屋たちだ。

都会でありながら、人が優しい。そんな居酒屋で飲みながら、また自虐してしまったという反省会。

 

2年くらい前に得た持論がある。

 

食べる速さ、歩く速さ、話す速さは社会性を表す、ということ。

 

たとえば一緒に食事をしていて、相手がすぐ食べ終わったら申し訳なく思ったり、逆に急かされているような気がして不快に思ったりするだろう。

たとえば一緒に歩いていて、相手が異様に速かったらえっ?となるだろう。

たとえば相手がまくし立てるように話したら、もう少しゆっくり話せないのかな?と思ってしまうだろう。あるいは、なんで焦ってんのかな?と。

 

私は、全部速い。バイト先で食事をするときも一人で先に食べ終わるし、休憩時間は余る。牛丼チェーン店が大好きだ。回転が速いから。歩くのも、集団で飲み会に行く時など呆れられる。なんなら帰りもそそくさと一人で帰る。話すのは、小学生の時三倍速というクソみたいなあだ名をつけられていた頃から直らず、速い。家族以外基本通じない。

 

社会性のなさが表れている。

 

たぶん、他人からどう思われるかより、自分で自分を許せるか、が優先するのだと思う。自意識過剰なくせ、自分の存在すら許せないくらい憎いときがある。定期的に「自分が嫌いすぎてどうしようもねえ」という波が来る。

 

要は、自分のことしか考えてないのだ。他者の目を意識することがない。

 

だから、たとえば、誰か男女問わず、「この人にはよく思われたい」という人が現れたとして、自分を磨いて可愛がられるように頑張ろうよりも、もう嫌われてもいいから私はあの人のことが好きとかいう超絶ネガティヴ思考にすぐ走るのだ。

自虐は自己防衛ですから。自虐風自慢とかかつて言われたけど、あれも防衛だから。

 

そんなに必死で守るほどたいそうな人間でもないのに。

人並みに自分を人生の主人公にして生きたいだけなのに。

 

恋愛における自己肯定感の低さは、多くの男性と話して結果として解消することが多いという。イケメンも慣れれば普通の男性なので、それは一理ある。優しいイケメンに当たり続ければの話だけど。

 

でも、この先の人生はわからないという前提で、この22年間の結論としては。

自虐を繰り返す自分に自信のない性格は、不治の病だと思う。そして、死に至る病だ。

なぜ、治らないのか。

自分を貶める方が楽だからだ。

なぜ、楽なのか。

他者から低い評価をされたとして、「私はクソみたいな人間だから仕方ない」と思えるからだ。べつに、たいして、救われないのに。

なぜ、救われないのにそんな風に考えるのか。

自分が可愛くて仕方ないから。他人にジャッジされたくない、マイナスの評価をされたくない。他人にされるくらいなら自分が先にする。

 

こういう思考回路は誰しも少しはあるのだろうが、それが過剰な人が時折いるのだ。

周りからすれば迷惑極まりないが(謙遜なのかわからなくて対応に困るだろう)、本人はわりと泥沼になっていたりするのであなどれない。本人も周りも不幸でしかない。

 

そして、この思考法は、「私がクソブスで最悪」という、理論で破壊できない結論を根底においているので、変わることがない。抜け出せない。

この思考からくるイケメンが怖い女として見られることが気持ち悪い好きな人に好かれると死にたくなるは克服のしようもあるだろうが、私はクソブスではなく、それなりに魅力のある可愛い女の子であると思うようになるには地獄の日々を乗り越えねばならない。

 

て、ところまで、分かっているのに。

 

また、飲み会で自虐を売りに場を和ませてしまった。

どうしてそんな性格になってしまったの?という飲み会で聞かれても壮大すぎて答えようのない質問までされてしまう始末だった。反省。

どうして、と言われてすぐ答える時は昔ブスと言われて傷ついてから自己防衛するようになったと答えているが、これは外見でなく中身の問題である。まともに答えようとすると就活並みの自己分析が必要になり、確実に死にたくなるだけという不毛さが残るので、やらない。前にやったことがあるが、自分でも分からなかった。ヤバい。

 

まあ、身を切って自分のことで人を笑わせている自分が大好き

なので、治りようがない。身を切っているときの自分しか好きになれないという、手首を切って存在意義を確認する高校生のような思考である。幼い。

昔から大人っぽいが子どもと言われてきた。自分の性格について細かく分析しているのにまるで直らないからだと思う。なぜなら、大人っぽい子どもである自分にアイデンティティを感じてしまっているから。救いようがねえ。

 

手首を切らないだけマシというピラミッドの最底辺の台形どうしの争いである。辛い。

 

さらに、自虐すると相手の話を聞いていないことになるので、相手に対して失礼なのである。最悪でしかない。

 

とりあえず、私より圧倒的に面白い奴しかいない飲み会とか行くしかないのか?

相手がどう思っていてもいいなんてわけがわからない

 

WBC観戦中。増井の投球、泣きそうになっている。映画は何を観ても感動はしても涙は流さないが、野球だけは、ふつうの試合のふつうのハイライトでも泣けてしまう。サヨナラ勝ちとかは更にキツい。

オランダ、強いなあ。当然ここは抑えるだろ、というところで抑えさせてくれない。

 

さて。

タラレバ娘ドラマ8話の感想を兼ねつつ、

相手が自分のことどう思ってようが関係なくない?っていう考え方が怖い

という話を。

 

タラレバドラマでタラ、レバ、KEYくんがよく言っていること。倫子たちが「好きかもしれないけれど、向こうがどう思っているかわからない・・・」みたいなことを言うと、

そんなの関係あるの?

と一瞬で論破というか爆破するシーンがしばしばある。3回くらい観た。

 

え、相手がどう思っているかって関係ないの?

 

私は思ってしまう。喪の喪たるゆえんか。

 

相手が自分を好きであろうが、ふつうであろうが、自分が好きだと思ったら気持ちを伝えればええんや、みたいなことがこのドラマでは繰り返し描かれているけれど、自分のことを好きかわからない男(男じゃなくても女でもいいけれど、同性より異性のほうが私の場合何を考えているかはよくわからない)のこと、好きになるだろうか?好きになっても苦しいだけじゃないだろうか?

例えば自分とは明らかに階層の違うイケメン、高所得者高額納税者、有名人ならまだしも、自分と釣り合うかちょっと上くらいに考えている人間の気持ちが、こっちに向いていないのに人を好きになるなんてなんて非効率で悲劇的なんだ。

 

まあだからといって自分のことを好きになってくれる男のセカンドになったり不倫したりがいいわけねえんだけど!!!

 

更に言うならば、相手が自分を好きだから自分も好きになるってことはないのかな。誰しも自分がかわいいわけだから、自分が好かれれば相手のことも好いてしまいそうだけど。それは相手の気持ちを確認してから・・・みたいなゆるふわスタンスなのだろうか。

 

これまでろくに恋愛をしたことがないけれど(それだけで人間じゃないみたいな顔をする人に何度かで会ってきたが、人間として生きていくことができます)、誰かを好きでいる時間は、苦しい。相手の気持ちを考えてしまう。聞けばいいのかもしれない、でも、聞いて何かが変わるのが怖い。関係を維持したいというのは、エゴか。壊れても、修復できる人はしてしまうんだろうな、なんて、恋愛市場にあとから乗り込んだ人間は、迷ってしまう。

恋愛強者は、自分のスペックがどうとかは気にしないで、スッと、聞けてしまうんだろうな。KEYくんほどかっこよかったら、好きになった女にフラれることもなさそうだけど。相手が死なない限り・・・。

 

ここまで書いてきて、確かにわけがわからない考え方ではあるが、そういう考え方があることもわかるという妥協した立場になってきた。

自分がかわいくて仕方ない人間は、失敗すること、傷つくことが怖いから、相手の気持ちを聞けないだけなんだと思う。そして、そうやって自分の中にエネルギーをためていることを恋愛だって思いこんでいるのかもしれない。

 

相手があることなのにね。

だからこそ、自分の感情を語りまくる恋愛トークは、恋愛から遠のく原因なのかも。

 

ここまで書いたところで、オランダが追い付いた。私が観ているとだいたい負けてしまうので、もう寝ようと思う。

 

喪女が理想のタイプを書いてみる

今回は…………

 

喪女歴=22年の真性喪女が理想のタイプを書いてみる

 

という地獄のようなテーマ。酷い。

 

モテないし恋愛しない割にモテ本やエッセイなんかは好きで、アルテイシアさんや桐谷ヨウ(ファーレンハイト)さんジェーン・スーさんあたりを読んでいる。酷い。いや、この方達は本当に面白いのですが。

 

これらの本を読んでいると条件を絞れということがよく書いてある。相手に譲れないものを3つだけ決めろとか。

それに倣って書いてみる。22歳という現在なので、結婚相手というより、単に交際相手としての条件。結婚とか考えると死にそうな気分になるので、考えるのをやめる(周りの交際している男性がいる女の子は結婚を考え出した)。

 

先に余談だけど、ファーレンハイトさん、謝辞で交際相手の女の人(結婚はしていない)に感謝を述べていて、人ってこんなに(結婚していない)他人のことを大切にできるんだ、凄いと思ってしまった。結婚したら一応赤の他人ではなくなるからね。

 

さて。では以下に3つ!

 

自慢話をしない

男の自慢話は死ぬほどつまらない。

いや、死ぬほどつまらなくても聞いてやるのがいい女なのはわかる。自慢話しか話のネタがない男性なのかもしれない。そこは持ち上げて合コンさしすせそを駆使して、、となるのもわかる。わかるけど、、

張り合いたくなってしまうという悲劇が起こる。

 

よほど年上で経験の差がある男の人ならうふふと聞いていられるけれど、同世代の男の自慢話は辛い。私だって凄いのにと思ってしまうし、実際に言ってしまい、相手が????(こいつ女のくせに何張り合ってんだ)となってしまう。

相手のオナニートークを優しく聞ける女になれれば、と思わなくもないが、付き合いの飲み会だけにしてくれ〜〜という感じだ。

 

だから、ちょっとした自慢なら聞いてやるが、仕事ができるアピール、忙しいアピールだけはやめてくれ。お互いにアピールしあうという地獄になってしまう。

私は高校の偏差値はそれなりだったが大学は二流私大なので、そこまでプライドが高くなることもない(いますでに致命的なのかもしれないが)、もっと偏差値の高い大学に行った同級生たちはどうやって男性と交際するんだろう。その辺はプライドを下げるんだろうか。心配にすらなる。余計なお世話!

 

ということで、自慢話自体つまらないからやめてくれ、俺もやめるというのが最初の条件と結論。

 

私のことを「面白い」と思ってくれる

このブログが全くバズらないことからして私に文才はないと思われるが、それでも自分の発言にたいしては笑ってほしいという気持ちがある。

高校の時からずっと芸人であることを突き詰めてきて、いまでは自虐ギャグなら軽やかに繰り出せるようになった。空気を悪くしないで自虐するというのはそれなりのテクニックが必要だと学んだ。

 

だからこそ、面白いという評価が欲しい。もちろんありのままで笑ってもらおうという甘えはない。日々YouTubeでお笑い研究くらいならする。ロバート秋山のクリエイターズ・ファイルくらいしか普段は見ていないが、落語とかもみる。笑いのためならある程度は努力する。

 

というか、顔が可愛くない人間ってもう面白くなるしかなくない?中身で勝負するしかねえ。

という精神で、日々やっております。誰か、私の話で一緒に笑いましょう。

 

会話の支配率が6:4

これは少しわかりにくいので説明をば。

喪女力(必要のなさすぎる力)全開だった2年前の話。

ある男性からデートに誘われ、映画を観て食事をしたが、食事中9割がた私が話していたということがあった。

その男性とは穏やかに距離を置いたが、いまでもなぜか若干苦い思い出として思い出す、そのデート ?

 

その時には気づかなかったのだが、今思えば、どちらかが喋り続けるのではなくて、6:4か5:5くらいで会話したいということだったのだ

元来の芸人精神からして、私のほうが喋りたがるだろうが、それでも相手のことも知りたいと思うのが当然だし、相槌や感想が欲しいという気分にもなるだろう。そこを叶えて欲しい。もちろん、相手の話を聞いてコメントをする力くらいは私にもあるはずである。ないから誰とも付き合えないのかな?死にたい。

 

付け加えるならば女友達的な感覚で話せれば最高なのだが、そうするとありのままでになってしまうので、少しの計算と装いは社会性として必要だろう。それができないから男に引かれるんだけど。ウケるわ〜。

 

以上が条件でした。

 

さらに傲慢に理想のデートを書くならば、野球観るのが好きなので球場に行きたいです。

 

許せない誘い方

沖縄旅行に行った。ほとんど全ての煩わしさを忘れた。

旅行は好きじゃなかった。自分が好きなように振る舞えないから。女王にならないから。

でも、相手の自由を尊重することで自分も少しだけわがままを通して、総合的にいつもよりちょっとだけ我慢すれば良いと気づいた。

 

そして東京に帰ってきたら不愉快なことが起こっていた。

先日、卒コンに誘われた。それが、後輩から直接ではないのである。幹事と仲良い同期から連絡が来た。

そのときは都合のいい日を選べという連絡だったし、そこに挙げられている日が厳しそうだったので無視した。すでに他のメンバーが返信していて決着がつきそうだったのもある。

 

その後、日程は多くのメンバーが集まれる日に決まったのだが(決まりましたと言われたわけでもなく勝手にそうなっていた)、日程を決めるときに返信したメンバーだけが参加することになっていた。つまり、あとから都合をどうにかした人の意見は聞いていないのである。最後だから、どうにか行きたい同期もいるだろう、と思う。私はどうでもいいからネットでネタにするけれど。

 

この連絡も同期から来た。私は一度も後輩から直接お誘いされてないのである。

 

直接誘われてねえのに行くわけねえだろ、ボケェ

 

と素直に思ってしまった。

 

私が2年前に幹事をやったときは先輩にライン、メール(当時はギリギリメール社会の名残があった)、しかも大学のと個人アドレス、返信なければハガキを郵送までして、それでも無理なら先輩同士で連絡していただくことにしたのに。

 

と、関係ない昔のことまで思い出した。

というか、ライングループに全員いないのである。引退の時に抜けた人もいるのである。そいつらは来ないとは思うが誘わなくていいのか?と思ってしまう。

 

要はお前ら常識が欠けてるぞ、教えなかったか?

ということなのだが、後輩の無能さは彼らがどのような家庭で育とうと先輩が悪いので、これも卒コンの企画の仕方というマニュアルを残さなかった私が悪い。………ことはないか。ちゃんと書いて残っているはずだ。

 

まあ、細かいことはいい。人を通じて誘うなと言いたい。

 

 

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