わたしの人生語呂合わせ

OLの穏やかな思考

真面目に生きるって損だけど

敬愛するライター、雨宮まみさんの死からそろそろ1年が経つ。

 

亡くなったのは15日で、私がそれを知ったのが17日だから、本当はどちらかで休みたかったけれど私は16日に半休を取った。

なんの必然的な理由もない半休だ。雨宮さんのことを考えるためだけの休みだ。

 

雨宮さんが 東京を生きる という本を出した時の期間限定ブログで、よく行くお店としてフルーツパーラー フクナガさんを挙げていた。フルーツサンドがおいしいうえ、お店の昭和な雰囲気が落ち着く。私も、学生時代のバイト先の目の前だったので二度ほど行った。四谷三丁目という、都会なのにどこか、新宿まで歩けるのになぜか、時間の流れが少しゆっくりな街にある。

 

去年は追悼に椎名林檎縛りでカラオケをした。雨宮さんがライターになるきっかけ、その最初の応募記事が椎名林檎についてだったからだ。

今年もそうしようと思って、だから休むことにした。

 

雨宮さんのネット連載は今でも読めるし、穴の底の連載(雨宮さんが愚痴を聞いてくれる)は常にサイトのアクセスランキングに入っている。いつでも連載が再開しそうだと思う。たまに読み返すけれど、最近は読むと泣いてしまうから見られない。40歳の連載は独身だってなんだって自由だって思わせてくれたし、買い物の連載はお金をかけるところを考えなきゃな、と思ったし、そんな雨宮さんがユニクロを着ているところも好きだし、インスタはいつでも胸を突かれるくらい、素敵だった。

 

こじらせ女子としてデビューして、それで仕事が来て、そこに苦しんでいたときもあるんだろうし、雨宮さんには こじらせ女子 という言葉がついて回るのだろうけど、でも、亡くなる直前の雨宮さんの写真は、そんなこと関係なくなるくらい、綺麗だ。雨宮さんはとても綺麗だ。ご本人がそう言われたかったか分からないけれど……。

 

雨宮さんに関してはいくらでも語ることがあって、岸政彦先生との対談本もよかったし、岸先生の追悼文には共感した。共感なんて言葉では表せないくらい、その通りだと思った。

そのあとペヤンヌマキさんが追悼文を出した。雨宮さんの不在を雨宮さんに相談したい、と岸先生と同じことを言っていた。私も穴の底に言いたい。

 

雨宮さん、どうしてこんなに早く、いなくなってしまったんですか。

私は一年経っても、あなたの死を現実にできていません。

雨宮さんは私の中では生き続ける。当分はそれしかない。

エンタメ性のある女はいらない

電車に乗っているとなぜか神経質になってしまう。

自分が見ているiPhoneの画面が隣から覗かれるのは構わないが、自分の視界に誰かのiPhoneが映ると申し訳ない気持ちになる。見てはいけないものを見てしまったと思う。

満員電車だと誰かの足を踏まないか、とか、雨の日なら傘が当たらないか、とか、気をつけることは無限にあるのだが、最も気になるのは通勤時間帯の電車内の会話である。

 

真っ昼間とか、夕方の通学時間とかなら、電車内で会話することは目立たない。しかし、朝のラッシュで会話すると、大きな音量でなくてもよく聞こえてしまう。そういうときはイヤホンで耳を塞ぐ。早く黙ってくれ、と思う。

会話の内容はなんだって良いのだが、とにかく電車内では黙って欲しい。黙って乗って欲しい、と思ってしまう。

 

先日は大学生とみられる女性二人が、朝のラッシュ帯の電車で、妊娠中の女性がヒールを履くのはどうなんだ、おしゃれは産んでからでもできるから今は我慢しろ、といった、炎上必至の会話をしていた。仕事上ヒールしか許されていないのかもしれないし、産んだらしばらくは外出もままならないから今のうちにマタニティおしゃれを楽しんでいるのかもしれない。マタニティファッションっていつでもできるわけではないし。そう考えながら耐えた。満員電車だったのでイヤホンを取り出せず不快な思いだけが残った。

 

また先日は、帰りの丸ノ内線、ほとんどがビジネス利用の時間帯に、隣に座った男女が、誕生日がイベントと近いと一緒にされる問題について話していた。12月だとクリスマスと一緒だよね、とか。どうでもいいことをわざわざ電車内で話さないでくれ、と思ってイヤホンをした。私の隣には男が座り、彼は8割がた聞く側に回っていた。降り際に見ると眼鏡文系男子といった風貌で、話していた生年から20代半ばと思われるがどう見ても就活生だった。ほんとうに大学生か院生かもしれない。

会話のほとんどを支配していた女は、男が敬語だったのでさらに年上か先輩なのだろうが、会話を支配するタイプだった。誕生日とイベントの話も、元はハロウィンが近いから渋谷は凄い、最近始まったイベントだが何が楽しいのだろうか、という話が起点だった。女が、自分の誕生日がハロウィンに近いから云々と言い出したのである。

 

降り際にまた、女の風貌も見た。私に似ていて驚いた。数年前の私だった。

 

あの女は、場を盛り上げるエンタメ性と、会話を円滑にする社交性があるのだと思った。そしてそれに自分である程度気づいているからこそ、男を遮ってでも話すのだろう。私はそれがつまらないと思った。女は黙って男の話を聞いていれば良いと思った。

そして我が身を振り返る。

 

私は自分の価値を面白さにあると思っている。少なくとも、飲み会などでそれなりに笑いを取ることはできるし、中年男性のどこまで本気かわからない野次にも対応できる。男尊女卑は死ぬほど嫌いだが、相手がバブル以上の世代だとそれがマナーみたいなところもあるので仕方ない。そこを笑い飛ばせるのがいい新人と思ってきた。

しかし実際に、似たような話し方をする女を目の前にすると妙に気分が悪くなる。つまり、面白い自分に価値を感じつつ、同時に認められていないという自意識ワンダーランドが形成されていた。ほんとうは芸人女なんてつまらないのにそれしかできないもんね……というネガティブ諦めである。

 

大学のときほどではないが、これからも基本路線は面白い方向で、と私の中では決定していたのに、あの女、キャメルのコートを着てグレーのパンプスを履いたショートカットの女が、私を揺らがせた。ただし、女を恨む気持ちは全くない。むしろ感謝さえするだろう。

自分を客観視するのは難しくて、つねに人のふり見て我がふり直せでしかないのだから。

 

 

就職して半年経った今の私の話

4月にとあるIT企業に入って、半年が過ぎた。

半年が過ぎた、と書いたが、体感はその半分もない。社会人になったら時が経つのが早い、というのはよく聞く話ではあったが、予想以上である。7,8,9月は、存在すら感じなかった。少し前まで暑かったことも、すでに抜け落ちてしまっている。

 

この半年、どちらかといえば良いことのほうが多かった。だから、最近急に就活生をみるし、半年間の諸々を書いてみようと思う。あまり細かく書く訳にもいかないので、ざっくりとなのは許して頂きたい。

 

私が気付き始めたからなのか、就活生がすでに動いているが、大手、外資ベンチャー以外なら(つまり中小なら)、4年になってから動いてもまあまあ間に合うと思う。就活に疲れないで欲しいな、と思う。その先の方が疲れるから。

大手、外資ベンチャーに行きたい人は、ほんとうにそこに自分の幸せはあるか?自分の基準で考えたか?を問うて欲しい。

 

私はずっと周りの基準にフラフラしてたな、と思う。大学では優秀な方(自画自賛で恐縮だが、高校の時手を抜いて実力より下の大学に進学した為)だったので、友人やらなんやらからは大手を期待されていたらしいが、いまは大手グループの中小企業にいる。就活中は迷い続け、名もないところに就職していいのか、自分に問い続けたが、バリバリ働ければ名刺の肩書きなんて私にとって大したことないというのと、名もない会社で働く人たちの方が圧倒的に多い、その人たちも社会を支えているということに気づいて就職を決めた。

まあ、うちしか受からなかったのもある。でも、不満はない。

 

本題になかなか入らないが、この間上司が突然画面を示してきた。

「頭のいい」女子はいらないのか:ある女子国立大院生の就活リアル (BUSINESS INSIDER JAPAN) - Yahoo!ニュース

読みながら泣きそうになったのでタイトルだけ控えて家で読み直した。ここに書いてあることは、ある一人の体験として書かれているが事実だと思う。私も重厚長大だけではないがメーカーを受ける中で同じことを何度も感じた。男だったら良かったのに、と自分を呪った。うちの会社は逆に性別がなさすぎて大丈夫かな?と心配になる。(つまり女性に考慮せず働かせまくるという意味でもあるので)

どんなに男性優位のものづくり業界でも、誰かが進出してくれなければ、とにかく受けるだけでも受け続けてくれなければ、ほんとうに何も変わらない。だから後に続く皆様はとりあえず受けて欲しい。女性営業はいませんと言い放った会社もあったけど、いつかは変わると信じている。

ハードな仕事で男の人にしかできないということをよく言われたが、女子プロレスラーとか、そういう身体を鍛えていて体力に自信がある人が来たらどうするんだろうと思った。男の人にしかできないんじゃなくて、体力に自信がない人お断りとするならば私は諦める。たしかに自信がないからだ。結局は女人禁制なんだけど、そうやって表立ってはいえないから、そういう現実がまだまだある。

 

今の会社は二次採用でとられたけど、女性しか説明会にも呼ばなかったようだ。まあ、最初の数合わせではそうするしかないのも仕方ない。普通に採用して、普通に半数くらいになる未来がくればいいな、とは思う。とくにITは体力関係ないし、女性営業もいる。女性管理職はいないがそこに近い人は何人か。子どもがいると出世できないとかいう話ももちろんあるけど、歴史ある大手のグループにしてはそれなりなんじゃないか。

なんなら私が第1号になるしかない。そういった夢が描ける環境も、私が自分の幸せとして考えて導いたことだ。

 

さて、前置きだけで1500字あまり書いてしまったが、ここからがここ半年の所感である。

ここからは、私が就職前に感じていた疑問に自ら答える形で書きたいと思う。大学生が抱きがちな誤解だと思うからだ。

 

IT企業はブラックなのか。深夜まで仕事してるのか。休みの日も出勤しているのか。

2割くらい当たっている。

まず、深夜残業について。

私の部署はまずない。案件に関わる仕事の分担はみんなでやっていて、一人で一つの案件をやるのは余程のベテラン、役職者クラスでないとあり得ない。だから終わらなかったらみんなで手伝う。一人が頑張ってもそうクオリティは上がらない。客に出す資料は出す前にたいてい社内で読み合わせをするので、ある意味誰がやっても同じになるようにしている、というのもある。

しかし、深夜、土日に出勤する部署もある。

ITという業界特性だと思うが、顧客がシステムを使っていない時にメンテナンス等しなければならない、急に障害が発生する、さらに海外拠点で時差がある、などとなるとイレギュラーな仕事もよく起こる、らしい。よくは知らないが土日出勤は前々から日付を指定されているようである。突然の出勤はあまりない。代休はある。ちなみに私は土日休みである。

 

と、こんなところである。配属部署の希望はふつう通らないと思うが、ITの中でも業者を選べば土日休みは可能だろう。営業、コンサルは土日はない。

 

理系の職か。

これもしばしば周りから言われることである。たしかに理系の院生とかで意外とITに行く人が多いとも聞く。

全く理系かどうかは関係ないというのが結論である。

同期に情報系から来た人は一人しかいないし、たしかに彼はめちゃめちゃに詳しいので研修はかなり暇そうだったし周りに教えていた。だからといって仕事で優位かというと、即戦力レベルが少し高い程度である。

知識があればありがたいが、ないなら勉強しろというのが新卒採用する会社のたいていの気持ちな気がする。会社に入って学ぶべきことは大学のうちは想像もつかないし、臆せず飛び込めばオッケーである。なんなら私はプログラミングは全くできないし、偉い人に開発技術で褒められていた同期は確か経済学部かなにか出身だった。聞いたことはないが同じ部署の人も理系はいないように思う。

情報系出身者が多いのは、情報系の大学を出るとやっぱりITだよね、という気持ちがおそらくあるからで、外野を弾くためではない。

 

私は文学部だったが、文学部ヒエラルキー的には、というより私がいたところのヒエラルキー的には、作家(などのフリーランスのクリエイター)、出版社の編集、記者などの順でレベルが高かった。商社だの、btocメーカーだのはそれより下である。五大商社に受かるより、潰れそうな出版社に新卒一人だけ受かる、のほうがずっと上だった。

その中でITは、受けることすらあり得ない、なぜわざわざ大学での勉強を捨てに行くのか?という扱いだった。どうせブラックですぐ辞める、というようなこともなんども言われた。私からすれば出版社のほうがやりがい搾取のブラックなイメージがあるが、お互いイメージに過ぎないのだろう。

大学は入ってみたところで何も楽しくなかったし、発見もなかったが会社は入らないと分からない。大学生のくだらない先入観を捨てて受けて欲しい、と思う。理系の人間のためだけにIT業界は存在しないし、プログラミング教育したところで、IT企業でプログラミングしない人だってたくさんいる。

 

最後にもう一つ。

 

社風は、無い。

説明会でよくある質問、仕事のやりがいは?社風は?であるが、 

どちらも無い。

というのが半年間の結論である。

まだ知っていることが少ないからかもしれないが、多分ここ数年考えは変わらないと思う。

まず社風だが、部署単位で大きく違う。特に今の会社は部署によって平均年齢や男女比が大きく違うので、それにより雰囲気は大きく異なってくる。あとは中途社員の比率でも変わってくる。ITは協力会社からの出向も多いので、社員じゃない人たちがたくさんいる。なので社風といったまとまったものはない。

説明会で社員が言ってる社風は、自分の周りの特定の人の雰囲気のことだろう。私がもし聞かれたら、ハードルがなくフラットな組織と答えるが、もしかしたら隣の部署は年功序列かもしれないし。その程度である。

 

やりがいについて、こちらも特にない。

仕事というのはうまくいくようにするのが当たり前なので、困難を乗り越えて〜という展開になるとただ辛いだけである。実際トラブってる時はひたすら対応に追われて全くやりがいも何もないし、終わった後には安心するだけで達成感はない。

そもそも、やりたい仕事ができることすらほとんどない、だいたいはやらなくてもいいならやりたくないが、仕事だから仕方なく片付けるくらいのレベルの仕事だらけである。少なくとも入って何年かはそうなので、もしやりがいが欲しいなら起業とかした方がいい。

だからといって特に不幸でもない。社会人になってから感情の起伏がゆるやかになった、というより、いちいち事象に心動かしてる時間がないので、仕事に嫌だとかなんだとか感じることはほとんどない。ただ日々が過ぎるだけである。ただ過ぎる時間を受け止めている。そんなわけで、副次的にメンヘラも治った。

 

ということで、この辺が半年で感じたことだ。メンヘラが治った話は別に書きたいと思う。

他人は他人を変えられないでしょ?

毎月25日はコミック誌kissの発売日です。雑誌はどうせ捨てるから電子でしか買わないと決めて数ヶ月前からkindleで読んでいます。

 

目的は東京タラレバ娘だけ。他の作品も読むけれど、他の作品がめあてになることはない。いまのところ。タラレバ完結しても買うか微妙というところ。アレンとドランがすこし面白くなってきた。

 

さて、きょう発売の5月号の感想メモ。まだざっとしか読んでないのでこないだのドラマの時みたいに必要なら追記します。ネタバレます。

 

幸せって形になるの、ならないの。追い求めるものなの。

 

みたいなことが問われていた。

倫子はKEYくんにたいして、早坂さんにたいして、幸せにしてくれる男かそうじゃないかという視点を設定していたけど、幸せなんて形のないものにすがるのはやめろというKEYくんの発言。問いの軸をずらすということ。問いを無効化するという、ずるい手段。

KEYくんは、ずるい。倫子がいい女だったらふつうに恋愛してて、そうじゃなかったら、昔の嫁さんを忘れるための手段として恋愛する。後者は恋愛ではないかもしれない。利用されているだけ。でも、倫子は好きになったわけで、しかも2回目のセックスで、そう思ってしまったわけで。これは、倫子が負かされてるような。しかも、問題ないって、乗せられてんだもんな。

 

それでいて、KEYくんは倫子をどうにか引き止めようとはしてて、乱暴と言いながら迫るし、ほんとうに、せこい。ツンデレとかいう次元じゃない。

セックスと愛情って別じゃないのかな、と思ってしまう。回数でもないでしょ。ドラマの感想で倫子は喪女ではないって書いたけど、プレイガールでもない。KEYくんもプレイボーイではない。セックスのやり方を知っているだけの、ふつうの、人間。

 

早坂さん派である私からすると、もうとにかく早坂さんがかわいそう。KEYくんは絶対早坂さんに勝てると思っていて、でも会員制バーで負けてちょっと悔しいのかもしれないけど、何も知らない早坂さんはただ待たされて傷つくだけ。傷ついたもの同士だからできる恋愛もあるという早坂さんの名言は、傷ついたKEYくんを倒すことはできなかった。ドラマで早坂さんはタラレバ男にはなりたくないって言っていた。でも、メンヘラがメンヘラ同士でくっつくように、タラレバ男とタラレバ女がくっつくこともあるのかも。

 

結局、似た者同士というか、恋愛を通じて成長はしても変化はない。人は人で変わらない。そんなことまで考えて結構暗い気持ちになった。アキコ先生、倫子にどうしてほしいの?

 

 

 

と、感想を書いたところで。

昨日、大学を卒業しました。振り返ると落ち込むばかり、なんらのポジティブな思い出もない暗黒の四年間ではあったけど、つねに誰かしらが私の相手をしてくれていてありがたかった。そして、それに伴ってここも更新やめたいと思ってます。誰も見ていなくても、考えたことを書ける場があるのは楽しい。

振り出しに戻る

毎週毎週、まずはリアルタイムで観て、その直後から配信を観て、次の日以降にまた配信を観ていたドラマの最終回はほんとうに寂しい。

タラレバ娘の最終回が終わってしまった。いまの感想を率直にメモ。

 

 

原作よりもハイペースで数々の男と浮名を流している的な展開になってしまったため、尻軽女っぽく描かれてしまった部分がある気がする、倫子。

7巻発売時になんだかんだ言ってスペックに飛びつくんですねというアマゾンレビューを見たけれど、その通りになってしまったのでは。KEYくんとの絡みのシーンが少ない割にあの結末だと。一回やっただけの男ともう一回遊ぶチャンスを得た女じゃない。4巻でKEYくんがあざ笑ってた姿そのものじゃない?と、怒りを感じているのだけど、原作はどう落として来るのだろう……。

まあ少女漫画だしねと全てを諦めるしかねえ。諦めるというか、私は早坂さんの気持ちになってしまう。だって、自分から振るという形を作って、さらに、仕事仲間に戻ろうって、倫子が傷つかないように?そして自分が傷つかないように、防衛線を張って、そうやって、自分を守るってすごくすごく人間じゃないか、って。飲みの席ですら皮肉を言って場を乱す若い男よりずっとずっと大人なのに。早坂さん。どうしてそんな見る目がないの?マミちゃんと言い。

 

良かったのは坂口健太郎の笑顔くらいの話で、あれが1,2話あたりででてきた倫子の妄想だったら良かったのに。KEYくんが倫子のこと好きなのは、昔の嫁さんに似ているから、そして、自分のこと叱ってくれるからだよ。母性だよ。そんなん、親でどうにかせい

坂口健太郎が笑った…………!とクララ的に感動したけど。したけど!ほんとうはもっと鼻で笑ってほしかったけどね。坂口健太郎では、優し過ぎる。

 

30くらいで男日照りの女が、そこまで年下男に積極的に向かっていけるのかな?最後の告白シーン、ときめきもなにもない感じではあったけれど、私だったらどうだろうか?倫子は恋愛ご無沙汰な女ではあるけれど、恋愛下手だったり奥手だったりはしないのだ。タラレバ女ではあっても、喪女ではない。

 

私がこの終わり方に苛立ちを感じてしまうのは、モテない女の味方は誰もしてくれなかったからだ。僻みだと分かっている。これでモテない女だとまた別のドラマになってしまうので、落とし所としても良いのだ、分かっていて、観ていたのに。

二人がお互いの気持ちを確かめ合って、それで両思いで、ふふって微笑みあって終わるなんて、そんなの、そんなの。倫子は早坂さんを通じてタラレバ女を卒業したんだろう。KEYがかまをかけるような話し方をしたとき反応しなかった。それはある意味理想と折り合いをつけて現実を見られる大人になることでもあるのに、やっぱり若い男に流れたのは、世間の価値観と自分の幸せを天秤にかけて、自分の幸せを求めた、その結果なのか?

 

倫子さん、それでいいの?

 

笑ってるけど。それでいいのかな?

 

疑問の残る終わり方だった。これは制作側にうんぬんではなくて、倫子という架空の人物そのものに、問いたい。

 

 

3/23 追記

きょうになって落ち着いて観直したら、「俺もあんたのこと好きかも、って言ったらどうする? 考えといて」ってセリフだった。そこまで直接的ではなかった。焦り過ぎた。でも、倫子に選択権がある感じなのがやはりムカつく。笑

飲み会芸人という短い命

お酒が飲めるようになって、まだたったの2年しか経っていない。ワインとビールは修行して飲めるようにしたが、日本酒はまだ手をつけていない。焼酎も飲まない。逆に言えば、ハイボールと果実酒とカクテルだけでどうにか回している。

2年ちょっとの間、自分ではけっこう飲み会に参加しまくっていた気がしたが、大学2年の途中まで未成年だったので思えばウーロン茶ばっかり飲んでいた。あの頃は飲み会が嫌いだった。後輩だったからお金を払わずには済んだけれど、そんなに面白くない話に相槌を打ったり、それ以上に、面白くない人間にネタにされるのが嫌だった。自分で言うオバさんと、人に言われるそれは、違うのと同じだ。

 

当然だけど、男は可愛い子が飲み会に来ると喜ぶ。ちやほやする。飲ませない。話を聞くし、質問もする。気持ち悪い空気が出来上がっている。私と比較する。私は少しだけ、わざと、粗雑でガサツに振る舞う。ネタにされている。盛り上がる。傷つくほどではないが不愉快な思いをする。私がいるからこそ、このちょっと顔が良いだけの女だって居場所があるのに。お金を払わない代償が大きすぎる。

 

いまでは飲み会における自分の立ち位置を確立することができたので辛くもない。初対面以外の人には自分を積極的に開示するようにした。もう隠しても無駄だし、せっかくの場で、お金を払って(先輩になっておごるようにもなった)窮屈な思いをしたくはない。そうするくらいなら、どんなに笑い者にされても自分から自分をネタにするほうがましだ。そうやって、芸人になることで自分を守ってきた。どうしてそんなに自分を犠牲にするのだ、と言われることもあるけれど、何度かここでも書いたように、自分を犠牲にではなくひたすら守っているのだ。

 

それでも、ふと、我にかえることはある。

 

私はこれまで芸人とか盛り上げ役とか(自称他称含め)、そういう立場でやってきたけど、これって無限にやれないよなあ、と。

 

私自身はいくつになろうと身を切ることは構わない。むしろどんどん身を切りたいと思っているし、それで面白ければ私も自己満足で幸せになれるのでウィンウィンくらいに思っている。自分が面白いに違いないという多少のエゴと傲慢さを含めてである。

年齢がついていかないとかそういう意味ではなくて、私のオリジナリティ、独創性、そういうものはいつまでももたないよなあ、ということである。

 

どんなにネタに変化があって毎回面白い芸人さんでも、一定の芸風はあるわけで毎回見せられたら少しは飽きてくる。そこを飽きさせないのが芸人さんのすごさであって、エンタメを提供してお金をもらって食っていくことの厳しさなんじゃないか。友近とかロバートのネタは何回みても笑うし、ナイツのヤホーという最初にくり出されるもっともくだらない小ネタに幾度となく引っかかってしまう。

一方で私は普通のその辺の女なので、つねに飲み会でどう振る舞ってウケるかを仕込んでいるわけではないし、飲み会はメンバーや席で雰囲気が違ってくる。用意したところで、自分も酔ってしまっているしどこまで通用するか未知数だ。

 

だからそこで私は鉄板として自虐という最大NG項目(なんでNGかというと他の記事にも書いてきたけど、自我がまともな人を不安にさせるから)を何度も繰り出してきた。まだ、私の周りでは多少は機能しているので引退する必要はすぐにはなさそうだが、いつまでできるかはわからない。

そして最近、私より面白い奴が登場したら終わりだという気持ちが増してきた。

 

卒業という節目において、これまでのコミュニティにおける飲みはだんだん最後になってくる。最後だからいつもより気合を入れて身を切るが、ふと、思う。

もし、今後もOGとしてここに呼んでもらうとしたときに、そのときも同じように面白い奴として振る舞えるだろうか?私がいなくなったあと、後継者が現れたら、私の役目は無くなってしまうのではないか?

実際には、私の後釜のような人が現れたとして、私と全く同じな訳はないから、それぞれに役割はあるのだろうけど、キャラかぶりという最も恐ろしい状態になってしまう可能性がある。

そして私はそれに備えて、日々新しい笑いを追求しなければ、と追い込まれるのだが、なぜふつうの20代女性がそこまで自分を追い詰めているのか?という気持ちにもなり、焦ってるんだかなんなんだか、わからなくなっている。

 

とりあえず、就職先に芸人がいたら終わりだ。しかも男なら終わりだ。女ならタッグを組むけれど、男なら立てなければならない。私より彼がつまらなくても、彼が最も面白いことにしなければならない。男尊女卑だろうが男のプライドを傷つけないことは、生理中の女を刺激しないことくらい大切だ。

そしたら私は、飲みたくもない甘いカクテルを飲み、もはやどの部位かわからない焼き鳥をつまみながら、合コンさしすせその劣化版を繰り出すことくらいしかできない。

 

自分を大事にすることと、自己愛が酷いことの境目

新宿御苑前、という地域が好きだ。御苑ではなく、その周辺の店たち。

あの辺りはチェーンの居酒屋はほとんどない。チェーンのカフェは19時には閉まる。そんなビジネス街にあるのは、個人経営の小さな居酒屋たちだ。

都会でありながら、人が優しい。そんな居酒屋で飲みながら、また自虐してしまったという反省会。

 

2年くらい前に得た持論がある。

 

食べる速さ、歩く速さ、話す速さは社会性を表す、ということ。

 

たとえば一緒に食事をしていて、相手がすぐ食べ終わったら申し訳なく思ったり、逆に急かされているような気がして不快に思ったりするだろう。

たとえば一緒に歩いていて、相手が異様に速かったらえっ?となるだろう。

たとえば相手がまくし立てるように話したら、もう少しゆっくり話せないのかな?と思ってしまうだろう。あるいは、なんで焦ってんのかな?と。

 

私は、全部速い。バイト先で食事をするときも一人で先に食べ終わるし、休憩時間は余る。牛丼チェーン店が大好きだ。回転が速いから。歩くのも、集団で飲み会に行く時など呆れられる。なんなら帰りもそそくさと一人で帰る。話すのは、小学生の時三倍速というクソみたいなあだ名をつけられていた頃から直らず、速い。家族以外基本通じない。

 

社会性のなさが表れている。

 

たぶん、他人からどう思われるかより、自分で自分を許せるか、が優先するのだと思う。自意識過剰なくせ、自分の存在すら許せないくらい憎いときがある。定期的に「自分が嫌いすぎてどうしようもねえ」という波が来る。

 

要は、自分のことしか考えてないのだ。他者の目を意識することがない。

 

だから、たとえば、誰か男女問わず、「この人にはよく思われたい」という人が現れたとして、自分を磨いて可愛がられるように頑張ろうよりも、もう嫌われてもいいから私はあの人のことが好きとかいう超絶ネガティヴ思考にすぐ走るのだ。

自虐は自己防衛ですから。自虐風自慢とかかつて言われたけど、あれも防衛だから。

 

そんなに必死で守るほどたいそうな人間でもないのに。

人並みに自分を人生の主人公にして生きたいだけなのに。

 

恋愛における自己肯定感の低さは、多くの男性と話して結果として解消することが多いという。イケメンも慣れれば普通の男性なので、それは一理ある。優しいイケメンに当たり続ければの話だけど。

 

でも、この先の人生はわからないという前提で、この22年間の結論としては。

自虐を繰り返す自分に自信のない性格は、不治の病だと思う。そして、死に至る病だ。

なぜ、治らないのか。

自分を貶める方が楽だからだ。

なぜ、楽なのか。

他者から低い評価をされたとして、「私はクソみたいな人間だから仕方ない」と思えるからだ。べつに、たいして、救われないのに。

なぜ、救われないのにそんな風に考えるのか。

自分が可愛くて仕方ないから。他人にジャッジされたくない、マイナスの評価をされたくない。他人にされるくらいなら自分が先にする。

 

こういう思考回路は誰しも少しはあるのだろうが、それが過剰な人が時折いるのだ。

周りからすれば迷惑極まりないが(謙遜なのかわからなくて対応に困るだろう)、本人はわりと泥沼になっていたりするのであなどれない。本人も周りも不幸でしかない。

 

そして、この思考法は、「私がクソブスで最悪」という、理論で破壊できない結論を根底においているので、変わることがない。抜け出せない。

この思考からくるイケメンが怖い女として見られることが気持ち悪い好きな人に好かれると死にたくなるは克服のしようもあるだろうが、私はクソブスではなく、それなりに魅力のある可愛い女の子であると思うようになるには地獄の日々を乗り越えねばならない。

 

て、ところまで、分かっているのに。

 

また、飲み会で自虐を売りに場を和ませてしまった。

どうしてそんな性格になってしまったの?という飲み会で聞かれても壮大すぎて答えようのない質問までされてしまう始末だった。反省。

どうして、と言われてすぐ答える時は昔ブスと言われて傷ついてから自己防衛するようになったと答えているが、これは外見でなく中身の問題である。まともに答えようとすると就活並みの自己分析が必要になり、確実に死にたくなるだけという不毛さが残るので、やらない。前にやったことがあるが、自分でも分からなかった。ヤバい。

 

まあ、身を切って自分のことで人を笑わせている自分が大好き

なので、治りようがない。身を切っているときの自分しか好きになれないという、手首を切って存在意義を確認する高校生のような思考である。幼い。

昔から大人っぽいが子どもと言われてきた。自分の性格について細かく分析しているのにまるで直らないからだと思う。なぜなら、大人っぽい子どもである自分にアイデンティティを感じてしまっているから。救いようがねえ。

 

手首を切らないだけマシというピラミッドの最底辺の台形どうしの争いである。辛い。

 

さらに、自虐すると相手の話を聞いていないことになるので、相手に対して失礼なのである。最悪でしかない。

 

とりあえず、私より圧倒的に面白い奴しかいない飲み会とか行くしかないのか?