わたしの人生語呂合わせ

OLの穏やかな思考

ちやほやされている女が嫌いなら自分も努力すれば良い

タイトルと内容はそこまで関係ありません。

 

何度か書いているが職場でそれなりにかわいがられている。2年目で、かつ歳が近い人もいないので、ある意味当たり前かもしれない。そこにわりと甘んじてしまっている自分がいる。若さは死ぬ財産だから急いで使わなくてはと思ってしまう。生き急いでいる。

 

若い女は若いだけでちやほやされていることに気づけという論調はしばしばあって、確かにそうだと思う。というか今だけだから女王として振る舞うのである。オタサーの姫だろうが姫は姫だからにして。いつか姫でもアイドルでもなくなるのがわかっているから。若い女だって馬鹿じゃないので、今のうちにという気持ちは強くある。

わたしより可愛い人なんてたくさんいるわけだが、可愛い人を見るとかわいいなあ、と思う。羨ましいという情はない。たとえ顔がブスでも振る舞いが可愛ければきちんとしててかわいいなあと思うし、顔が可愛ければそれはそれで良い。ブスは何してもブスと言われるけれど、それでも努力する人は尊い。職場にオタサーの姫状態の先輩がいるけれど、偉いと思う。わたしはそこまで社会的な生き物になれない。

 

わたし、若いのでという態度を全身にまとってきたけれど、これって単に女の敵になっているだけじゃないか、という気がしてぞっとしない思いがした。かわいくないわたしがアイドルを自称しているという逆説めいたギャグという、自虐なのか自慢なのかわからない手法でやってきたが、もう若くないと言われてきた年代の人にとってはかなりめざわりだろう。自分が可愛がられることしか考えていなかったので本当に今になって気づいたが、大変失礼な態度だった。やっぱり男の目が女の敵を女にすると思う。職場に女しかいなかったら何のアピールもしないで完全に素で勝負するだろう。女は裏があるなんて言うけれど、女子校出身者はわりとない。

 

前に社会人1年目は小学校1年生と同じという話も書いたけれど、みんながこっちを見ている!という快感みたいなもの、合法ドラッグである。承認欲求という、これを満たすためにネット上で日々戦争が起きているもの、それが簡単に満たされる。

社会人1年目は小学校1年生と同じだった - わたしの人生語呂合わせ

人生で男女問わず人に相手にされたことがない人が、ちょっと面白くて個性的なだけでもてはやされて調子に乗ってしまった。客観的に見ればそれだけのつまらない話だと思う。それだけ、人に相手にされることに切実だった自分を恥じたい。

好きなタイプは?と聞かれたらまっさきにわたしを面白いと言ってくれる人と言ってしまう。お前はエンタメ以外何も与えられないのかという話である。しかもこれ、わたしにとってかなり重要である。それだけ、面白さとか頭の回転の速さがアイデンティティになってしまっている。

 

自分で作った自分のキャラに縛られることってわりとよくあると思うのだけど、それが周りにも影響していると切実な話になってくる。みんなが面白がってくれているうちはいいが、ほんとうはうっとうしいのかもとか、想像力を働かせておくことは大事ではないか。気にしいになりすぎてもつらいが、自分とは違う真逆のことを考えている人もいると思わないと、味方がいなくなってしまう。自分が地に足をつけて生きることだけ考えていてもしかたなくて、やっぱりもっと社会的な生きものにならなければ。

 

なぜ突然こんなことを書いているかというと、恋愛がないと人生張り合いないよとこの間飲んだ人に言われたから。わたしも恋愛していいのかあ〜と妙に感慨を覚えた。そこから、自分恋愛しないキャラ固定しすぎだなあと思い、ここまで話が膨らんだのである。暇か。

恋愛は確かに潤いだろう。そのためには自分の時間を相手に割くことに慣れなくてはいけなくて、そのハードルが高いので今も一人で部屋でこれを書いている。一人でいることを研究してきた女が人と過ごすことは難しい。人を好きな気持ちより、感情を押し殺す能力のほうが高かったりする。そうやって、疎遠になってしまった人が何人もいる。これはもう、男女問わず。

 

わたしには、誰かを大事にする権利はないと思う。能力がないといってもいい。恋愛自体は誰にでも開かれているが、その先がない。あってはいけない。こんなに自分のことしか考えていない女が誰かを好きになってはいけない。

学生時代はそれでも好きなものは好きと言い張るエネルギーがあったが、仮にも社会で働いている今、自分に割けるリソースさえ限られているのに、誰かのことを考えている暇がない。俺と仕事どっちが大事?を素で言わせてしまう気がする。まあ、ここまで全部妄想だけど。

サプリの藤井みたいに広告代理店のバリキャリというわけでもないし、めちゃめちゃなブラックで気が狂っているわけでもない。それでも、日常の中に要素が増えることに対して違和感しかないままここまできてしまった。そしてしばらくはこのままで行くつもり。

男の子と二人で出かけるとテンションが下がる

飲み会の帰りに一人反省会をするのはやめたし、最近は体力が落ちて反省会をする前に寝てしまうが、ふだんやらないことをすると帰りに異様に落ち込む。感情が揺れた時に最終的に落ち込むのは癖に近くなってしまっていて、対処しようのないレベルであることはほとんどないが、その度にやりきれない気持ちになる。

 

この間絶望するほどデートに向いていないという話を書いたが、予定されていた通り決行された。

絶望するほどデートに向いていない - わたしの人生語呂合わせ

 

場所はわたしが好きな街で、ある程度都会なのでプランはなく、朝から何も食べていなかったのに1時間くらい歩き、たぶんリードしてほしい女なら速攻でアウトだと思うが、そんなことはあまり気にならなかった。携帯の充電が多い方がGoogleマップを開けばいいと思う。知らないことがあったらすぐググればいいと思う。

相手が30分くらい遅れてきたので(これもわりとありえないけど)、その分で昼食代を出してもらった。カフェ代はさすがに出そうと思ったが出してもらった。財布は開いたがそこからお金は出て行かなかった。わざわざ千円札をかなりの枚数揃えていったのに。用意周到である必要はなかった。

 

場所は相手が指定したのにわたしが暇を潰していた本屋の場所を分かってくれず、カタカナ3文字の別の駅ビルにいて迎えに行かなくてはならなかった。こういうことにきちんと怒らなくてはいけないのだと思う。今回はいいけれど社会人としてわりと致命的だし、ホモソーシャルなルールを押し付けないでくれという話でもある。男同士なら多少の遅れは気にしないのだという。

わたしは大好きなゾゾタウンで服を買ってしまうくらい気合いが入っていたし、なんならあまり意味もなく下着まで買って、1週間眠らせておくくらいテンションが上がっていた。情けないと思った。男性と出かけるくらいでこんなに身構えていたら、生きていけない。相手にとってわたしの存在は大して大きくない。

 

女友達と出かけても一人の方が楽しいのにしか思わないが、デートって楽しいのかもと初めて思った。そう、さんざん書いているが楽しかった。一人でいると気をつかうので、人混みでいかに人を避けるかしか考えないで歩くが、隣に誰かいるとずっと何かしら話していて周りが気にならない。ある意味社会性が死ぬ。飲食店に入るときも、ふだんなら提供までのスピードと回転率とコスパだけが優先され、味も雰囲気もどうでもよくなる(ことによって毎度富士そばになる)のだが、二人だと待てるし、フォトジェニック〜!なところにも行ける。選択肢が多い。さらに男の子なら、女同士では足を踏み入れにくいざっくりしたお店(ざっくりした表現)にも行けるかもしれない。まあ、今日は昼だったし相手はお酒を飲まないため、おしゃれなところ行ったけれど。世の人が土日のアホほど混んでいる都会に繰り出す意味がわかった気がする、少しだけ。

 

で、なぜテンションが下がるのか。まあ色々理由はあるけれど、自意識のお化けであることが原因の全て。

年下好きを公言しているし、年下にお金をばさばさ使うのが大好きだけど、ほんとうに年下の男の子と交際したら交際費はわたし持ちなんだろうか、と考えてうわあー………となった。お金を毎回出すのが嫌なのではなくて、相手に対して支配的になってよいのかという問いに答えられなかったから。元々年下好きなのは思い通りになるみたいな勘違いというかプライドの高さから発生していて、だからお金によって支配しようとするんだろうと予想がつく。自分の人間としての魅力で相手に好かれたいという自信が死んでいるから。

端的に言えばヒモということになる。家事をしてくれるならヒモでもいいが、たぶんわたしが家を出たらそこに住まわせたりするんだろうなー。そして家賃はわたし持ちなんだろうなー。深夜のダメ恋図鑑の諒くんみたいなの飼っちゃうよなあ。でも佐和子さんほど強くないしなあ、なんて、色々考えた。何も始まっていないが死にたい。

それは話の中でも出て、お前はだめんずを引っ掛けるから気をつけろといわれた。その通り、その通りです。

 

あと、自虐癖が治ってないとか、微妙な関係が一番心地よいと感じているとか、大学の時からかなり反省を繰り返したのに何も変わってなくて、18歳で思考停止してるんじゃないかと思った。いい加減、いい大人なのだからエセフェミニストも自意識お化けもやめたい。ジェンダー役割アレルギーみたいなの、誰も幸せにならない。自分が女であることから逃げたいことと、それでもどうしようもなく女であることと、自分が女であることは社会的なものか生まれつきのものかについてと、未だにほとんど前に進んでいない。大抵の人にはどうでもいいことがどうでもよくない。でもマイノリティぶってXジェンダーとかわざわざ言いたくなくて、要は自分が女であることと他人から見たら女であることの二つをちゃんと受け入れたいだけ。

 

相手はすごく優しくて、エスコートもしてくれるし、話を聞いてくれるし、ガツガツしゃべるブスの相手もしてくれるし、申し分ないのに、わたしはデートの前後で反省文を2000字ずつ書いてしまうのだった。きっとわたしは相手のことが好きだけれど、自分とのくだらない戦いが終わるまではずっと、行列のできる飲食店に並ぶための要員、お茶友でしかないんだろうな。まあ、そういう人貴重ですけども。

年を食ったからって独りに耐えられるわけではない

会社で席替えがあってフロアが変わったのだが、これまで前にも後ろにも席があって眺めが良かった(目線を上げた時にぼーっと周りの人を眺められる感じ)のが、今回壁際になってしまい、部長とその奥の壁しか見えなくなってしまった。さらに奥の壁に扉があって給湯室につながっており、その奥の別の場所の執務室との近道になるのでよく人が通る。知っている人が通るたび、景色が壁じゃんと言われるのだがまったくその通りである。景色が壁。新しいビルなだけに、真っ白な、壁。

そして、なぜか時計のチャイムが鳴らない。朝も昼も定時もなんとなく過ぎる。みんなばらばらに昼に行く。営業メンバーが多いので日中は人が少ない。人に対して席数が多く、人数が増えても大丈夫だががらんとしている。前のフロアは全面的に執務室だったため、満席ではなかったがつねに人の気配があった。

組織変更で周りに知らない人が増えたのもあるが、仕事中無性にさみしいという感情が湧くようになった。仕事中にはまったくいらない感情。メンヘラ極まる残業中にでも思うならまだしも、平日の昼間に。

これまでは感じなかった強い孤独。こんなに強い孤独を感じるほどの変化があったとは思えない。環境の変化への適応度は低いほうだが、いくらなんでももうわりと大人である。かなり驚いている。

 

そんなことを考えていたら部署の人と雑談になり、ある人は一人で食事をするのが苦手だという。正確にいえば、一人でランチなどに出かけて飲食店に行くのが苦手。今日は一人で行ったが短時間でかっこんだ、と言っていた。

思えば部長も一人で行動するのがあまり得意ではないと言っていた。ロジカルで落ち着いた雰囲気の人なので意外だった。

わたしは自宅の次に富士そばが落ち着くくらい富士そばが大好きだし、すき家が近所にないことに怒りを感じざるをえないくらいすき家を愛している。毎月一人でカラオケに行かないと落ち着かない。旅行は友達とも行くが、深夜にワインを飲みながらやっぱり一人の方が楽しいな〜!!とか考えてしまう。十年来の親友だろうが、むしろだからこそ。

部長も先輩も20歳近く上だけれど、一人には慣れないという。年をとったら人といたいという願望は消えて穏やかな気持ちで一人で居られると思っていたがそうでもないらしい。男女の差があるのかもしれないが、あまり関係ない気もする。老若男女関係なく、一人でいられる人とそうでない人がいるのだろう。だから別に、待っていれば落ち着くわけでもないということ。

 

一人でいられる側の人間だと思っていたが、しかし。如何ともし難い孤独に、あと何日耐えるべきか。今度飲み会があるらしいので、そこでとにかく知っている人を増やす必要があるだろう。ハブられないといいな、と中学生みたいなことを思う。

孤独はこわい。孤独を耐えることはなんとかできるが(デイリーポータルZをひたすら読むとかで)、発作のように、フラッシュバックのように襲う孤独がこわい。こんな感情二度と味わいたくないのに、次いつ来るかわからないという恐怖。今を乗り切っても次があるかもしれない恐怖。こうやって随時戦わなきゃなんだよなあ、と落ち込む。それはもう、落ち込む。落ち込んでは、やっぱりメンヘラ治ってない!と絶望し、の繰り返し。自分のさみしさを認めるまでにも時間がかかったのに、いつになったらまともなメンタルを24・365で保てるようになるのか。

 

寒い季節は起きられなくて、起きろブスと自分に言い聞かせていた。セクハラのニュースを見て、どう切り返したら場が丸く収まってみんな楽しく終わるだろうと思う。自分で少しずつ自分の身を削っている。自分を大切にできないツケとしてさみしさと戦わなくてはならないのかもしれない。それならば、しばらくの間受けて立つしかない。

絶望するほどデートに向いていない

このわたしが、会社の同期だけれど、男性と二人で出かけるという機会を得た。しかもわざわざ土曜日。お互い平日は時間が読めないという理由で。

ふだんは土日に人に会うなんて、と思っているけれど、思いのほかテンションが上がっていて遠足前日の子どもみたい。恥ずかしい。

たとえ相手が毎週末女の子とデートしてたとしても、うれしいのだと思う。卑屈すぎて。

 

でも、浮かれている場合ではない。問題が山積している。

 

着て行く服がない

仕事で毎日会うし、わたしはほとんどスーツを着ないので、着て行く服から迷っている。高確率で仕事の服とかぶってしまうが、それはまずい。どうせ誰もわたしがなにを着ているかなど気にしていないと思うが、とにかくまずい。カジュアルな私服だと、スウェットにジーンズ。その辺に行く格好である。電車に乗る服ではない。

無難にワンピース、とも思ったが、フレアスカートが似合わないため悩ましい。ストレートなシルエットのワンピースは持っているが仕事にも着て行くしユニクロだ。ユニクロ大好きだが気をぬくと全身ユニクロになってしまう。別に付き合ってもないがいちおうデートだし、付き合ってないからこそそう多くはないチャンスなので、非ユニクロで行きたい。

 

全身シェービングの必要あり

シェービングと書けば体裁はいいが要は毛を剃らないとまずい。何かが起きるわけではないがこの季節、だんだん肌を出すようになってきた。びっちり長袖というのも仕事っぽくて違和感がある。7分袖くらいは着たい。でもそんな都合のいい服は先に書いたユニクロのワンピースしかないし、超乾燥肌のわたしは春になってもシェーバーで肌が赤くなってしまうのであまり頻度を上げて剃れない。悲しい。最近は剃り残しを見るたびに悲しくなり、脱毛を決意するも料金より1〜2年という期間とサロンの女に会う手間が勝って行っていない。サロンとか怖くて行けそうもない。

 

かわいい下着がない

もうこの記事、喪女あるあるでしかないのでやめたほうがいい気もするが、とにかく何もないはずだがユニクロ以外の下着がない。ユニクロ信者すぎてストッキングもユニクロなので、ふだんの仕事着は基本的に靴以外ユニクロである。ユニクロの下着にユニクロのシャツ、ユニクロのアンクルパンツ。靴はユニクロでは高いヒールがないので買わないが、きっと7.5cmが出たら買うのでよろしくお願いします(?)というくらいユニクロしかない。ユニクロ以外だと無印良品とGUがある。つまりわたしの生活は良品生活とファーストリテイリングに握られている。ちなみにスキンケアはすべて無印良品なので、無印良品の広告に出られると思います。肌汚いけど。

ユニクロって書きすぎた。

 

どんな感じでいくやつなのかわからない

喪を深めすぎると男性に挨拶されただけでツボを買わされるんじゃないかという恐怖が浮かぶようになってくるのだが、1年以上同じ職場にいる同期なのに緊張感は未だ溶けない。日頃の憂さ晴らしに気楽に出かけるやつなのか、これは。気楽に出かけるってなんだ。一人の方が気楽に決まってる。わざわざ人と外に出ることのメリットは。なんなんだ。自分からこれってデートじゃん!と冗談まじりでありながら言っておいて、いざデートっぽい感じで来られてもビビる。どうにしたってビビる。ふだん40代既婚者男性としか会話していない副作用がすごい。

 

パルコに拒否感を覚える

この間せっかく金曜だしと思って帰りにパルコに寄ったが、あまりのキラキラさに拒否感を覚えて10分で退散した。とにかく明るいし、店員はめちゃめちゃ視線が鋭いし、来てる人たちもおしゃれで自分のダサさを自覚するし、鏡がいたるところにあって相変わらずブス!という自意識地獄に陥るし、良いことがなかった。もうゾゾダウンでなんでも買えるのだからわざわざパルコを見に行く必要はないと思った。かわいいモデルがその店の服を着ている看板を見たら全てのやる気を失った。泉里香、細すぎか!かわいすぎか!

テクノロジーに本当に感謝。実物を見にいかなくても、店員と戦わなくても服が買える。さらに昨日、恥を忍んで下着のサイズを測ってもらったのでもう何も怖くない。この世はダサいブスにどんどん優しくなっている。

 

挙げたらきりがないのでこの辺りでやめるが、まだ日曜なのに次の週末が怖い。

 

アルテイシアさんが、わたしはブスでいたくないために努力したけれどだからといって周りに努力しろとは思わないというようなことを書いていてウワーッ!ありがとう!ありがとう!と思った。手を合わせた。2ちゃんとかツイッターとかそういうところでは、ブスが勇気を出しておしゃれしようとしてもブスは何を着てもブスと封じられるし、ブス上がりのちょいモテみたいな面倒な人種はブスはせめて努力しろみたいなことを言うし、救いがない。女の敵は女なんて、ホモソーシャルおじさんの妄言だと思うけれどブス論争の中で女は敵同士になる。ただしそれは男の目線があるからだ。

ほんとうのブスというか、ほんとうに自分に一切気を遣っていない人ってたぶんそこまでいないんじゃないか。ふつうに働いてたらある程度周りを意識した見た目にする必要があるし、働いてなくても人に会うときは一応寝巻きではいかないだろう。だから多いのは下の中くらいなんだけどせめて中の下になりたいみたいな切実な女なんじゃないか。わたしもその層だと思う。

その中途半端な層の女が男性と休日を過ごすなんていうチャンスを得てしまうとこうやって2000字も書いてしまったりするのである。

 

もう信じられないくらいのクソブスになって、この世の一切の機微から追放されて生きたい。

JKの頃が一番ブスだった

好きな作家やコラムニストを挙げるとしたら、雨宮まみ、カレー沢先生、アルテイシアさんである。雨宮さんはもう亡くなっているために永久欠番で1位。

アルテイシアさんはいくつか連載を持っていてその中でも熟女の連載が好き。月一で更新頻度が高いわけではないけれど、アルテイシアさんの考えがよくまとまってて何度も読み返している。

最近の最新回はJKの頃が人生で一番ブスだったという衝撃的な内容だった。

元サイレントブスのJJは「ブスと野獣」「眠れる森のブス」に出演したい<アルテイシアの熟女入門>アルテイシア - 幻冬舎plus

JKの頃は太っていたし、顔パンパンでニキビだらけだったし、、いまの方が楽で、周りの視線が気にならなくて、言いたいことも言えていい、みたいな話。女は若い方が価値があるという通説に丁寧に反論した良い記事だった。

 

私は23歳だが会社では二番目に若い(2年目という意味で)ので、若さという死ぬ財産は焦って使わないとと思っていたが、確かに2年目になって数日、また違った余裕が出てきたと思う。

例えば、後輩がエレベーターのボタンの前に立たなかったことが気になった。自分ができていなかった時は気にならなかったこと。少し前まで自分がとにかくいろんなことを理解することに必死だったが、周りの人と知識を共有したいと思ったこと。少しずつ考えが変わってくるのだと思う。そして視点が一歩上がって、より多くのものが見られるようになるのかもしれない。

 

JKのときは女子校で、自分を否定する存在はなくて、とにかく自由で解放されていた。でも全然楽しくなかった、というか、常に自分ブスやなあと思っていた。でも誰もそれを指摘しないので、自分はブスなのか?という哲学にハマっていたと思う。大学で面と向かってブスと言われ、今では擬態に日々必死なわけだが、大学のときよりも楽になった。もちろん会社にいてブスと言うような人として終わってる妖怪はいないが、自分で自分を責めなくなった。ブスなのは変わらないが諦めがついたと言うべきか。

 

昔の方がブスだったということを、認めていいのだ、とアルテイシアさんの記事で解放された。JKは可愛いはずなのに自分は可愛くないという呪いに襲われていたことに気づいた。街でJKをみると胃がうずくようなあの気持ち。自分が得られなかったものを得ている彼女たち、見知らぬ女たちへの執念みたいなもの、そこからはもう解放されていいらしい。

確かに考えてみれば一人一人のピーク(自分で思う自分の一番いい時)は違うはずで、JKの頃の人もいるがそうでない人もいるわけで、まだ終わってないならいまは登り坂という考えもできる。それは周りが私を終わっていると言おうが関係なくて、あくまで私がどう思うかだ。そんな当たり前のことも誰かに指摘してもらわなければ気づかなかった。アルテイシアさん、いつもありがとうございます。いつか実物に会いたいが、私は特に面白くない。男も欲しくないし。

 

1年目は、なんとかして戦力になりたいが慣れていない私と、若さでおじさんたちのお気に入りになっている私との間でいつもギリギリと胸が潰れるような思いだった。仕事は辛くなかったがメンヘラ上がりにはかなり辛かった。若さはクソと思いながら若さを使ってしまう自分に腹が立って、そうやって思春期みたいなことをしている私にも腹が立った。いまはもう、穏やかに20代を過ごせれば良いなという気持ちになってきている。やっと、やっとここまできた。

 

ブスであることは悪くないし、ブスでも楽しく生きることはできるし、女は加工次第でブスでなくなることもできる。女に生まれて、良かった、かもしれない。

女友達の愚痴を聞いて死ぬ

私が穏やかに歳をとり、職場の既婚男性に可愛がられている間に、女友達が男とくっついては別れる。女同士で集まるとそこにいない女とその男遍歴の話にしばしばなるけれど、そこにいない女の彼氏、完全に誰にとっても他人である。赤の他人の話で盛り上がる、性格の悪い女たち。

また一人、男と別れる決意をした女がいて、久しぶりに高校生の時みたいに笑った。ジェーン・スーは男と別れた女をメンテナンスするのが女友達と言ったが、20代前半の女たちにとって恋愛はまだ軽く、別れることも一つのエンタメだと思う。

付き合う話も好きだが別れ話の方が好きだ。あんなに好きだった人間をこんなに悪く言うんだ、と面白くなってしまう。よく考えればあんなところもこんなところも嫌いだった、あのときのあの態度が気に食わなかった、などなど、私がまるで知らない男、でも彼女はその裸まで知っている男の話を延々とする。私は、こちら側へおかえり、と思う。やっぱり別れると思った、と口には出さないが考えている。グループ通話をバックグラウンドに、右手はずっと通販サイトを見てブラウスを探している。音が悪くて途切れるたびに、これでもうお開きにならないかな、とうんざりする。

 

女ののろけは、男がいない女が聞きたがっている風に聞かなければならない。愚痴という名ののろけを何時間も聞く。聴くという字が正しいくらいちゃんと。相槌も打つ。そのとき女は私に対して優位に立っていると感じているのだろう。好きにすれば良い。じきにこちら側に帰ってくるから。それまでの期間が何年であろうと、それは私にとって大したことではない。

グループ通話が切れると、この1時間寿命を無駄にした!と叫びたくなる。どうして!貴重な平日の夜!と。彼女が私の話を聞いてくれることはない。私は彼女の世界で脇役にもならない。

女は必ず、私ばかり話してごめんね、そっちも何かあったら言ってね、聞いてくれてありがとうと言う。聴く気がない人に話すつもりはないので構わない。ネットに書かないような愚痴はそもそも抱かない。人に話しても解決することなんてないと思う、それよりも携帯のメモに打った方がよほど効果的だ。

 

私に男ができる前に、他の女と男の絡まりと解けについて散々聞かされた。嫌という程。だから恋愛というものに良いイメージがない。こんなに周りを巻き込んで、深夜まで通話に付き合わせて、で、うまくいかなければ相手に呪詛の言葉を吐いて別れ、うまくいけば、3万円を徴収され祝いの言葉を吐く必要がある。散々だ。女友達は自分のことを否定しないしいつまでも味方というけれど。否定しないというより興味がないのだろう。上の空。私も貴方も。

全然ポジティブな気持ちがないときに色々聞かされて、ただ消耗するだけになった。男と女の関係は、女の友人のタダ働きで成り立っている。

社会人1年目は小学校1年生と同じだった

私が幼くなったというより、周りが私を見る目が、完全に子どもを見る目だった。

 

先日、会社の行事でプレゼンがあった。これは新人の1年間の総括としてかなり長い間行なっているもので、トレーナーおよび課長と一緒に半年くらいああでもないこうでもないと言いながら作り上げる、けっこう力の入ったイベントである。私はちょうど仕事が暇な時に重なったので時間をかけてパワポを作ることができたが、日夜忙しい同期は家に持って帰って作ったらしい。土日を賭すことも普通にある。徹夜したとか色々噂を聞く。

 

発表当日は、トレーナーや課長だけでなく課のメンバーも見にきた。会議室の前に立ち、必死でしゃべる私。それを見つめる役員。眠そうな管理部長。鋭い目線のコンサル会社から来た人(よく知らない)。その手前に同期。私より前に終わったやつの余裕そうな顔。そして、課のメンバーは役員たちよりも奥で、若干スライドが見づらいのか、文字通り首を伸ばしている。先輩がにやにやしながら聞いているのが見える。直前になって愚痴を聞いてもらうついでにヒントをもらった(いつも私に一方的に与えてくれる人、申し訳ない)。課長の顔が見えなくて緊張しない。

そんなことを考えていたら、まるで小学校の授業参観だ…………と思った。話している間に思いついて、面白くて仕方なかった。他の同期の時はこんなに人がいなかった。私だけ保護者が多い。父が3人、姉が2人、母が1人くらいいる。みんな私がうまくしゃべれるかを気にしている。質疑応答の時間、緊張している、私よりも。

 

社員は家族、と言い切ってしまう社長がよくいて、共感はしないが、こういうことなのかもな、と合点がいった。私がちゃんとした大人になるかを見守っている人たち。もう実の親は私の成長に興味はないから、次は会社の人に監督権が移る。最初のうちは転ばないように徹底して教え込む。一人で立って歩けるようになったら転ぶまで歩かせて勉強させる。打ち所が悪くて泣いていても、助けてくれるのは最初だけ。就職してからの数年間は、第二の子育てなのかもと思う。

私は会社の中でも、世間一般としてもかなり恵まれている方と自覚している。部のアイドルを自称しているがみんな呆れながらついてきてくれるし、私がどんなに調子に乗った発言をしても笑って許してくれるし、腹の中でどう思っているかは自由だが表向きはいつも尊重してくれる。ある意味実の家庭より温かいかもしれない。たぶん、私の生き物としての成長には責任がないからだろう。

 

子育てと考えると、ブラック企業はネグレクトとか虐待に当たるのかもしれない。この日本でブラックでない会社はないと言うけれど、それは労働時間が長いとか、そういうことだけではなくて、上司が部下を人として考えているかいないか、も大事じゃないかと思う。と、突然大きいことを書いてしまったが、言いたいのは、とにかく授業参観みたいで面白かった、という話だ。

 

就職する前は、男性社会と言われるところに飛び込むのが嫌だったし、男性と張り合って働きたいと思っては、性別に縛られている自分に対する自己嫌悪みたいな面倒な感情に支配されていた。皮算用だった部分も多くあった。結局、私は若い女であることの価値を惜しまず発揮していて、かつて嫌悪したゾーンに自らを踏み入れている。

でも、よく考えたら、必死で歩いている子どもは可愛いわけで、自分が当たり前にできることを試行錯誤して取り組んでいる様はいじらしいのだ。今これを公園で書いているが、周りを子どもがバタバタと駆けて行く。走ることに全身を使っている。特に小さい子どもが好きでもないが、可愛いなあと思う。あんなときがあった、とも。何も入らなそうな小さいリュック。20年前と違うのは、タブレットで動画を見ている子が多いことくらいで、子どもたちがはしゃぐこと自体は、変わらない光景がある。

きっと周りの人から見たら私が日々悲鳴を上げながら仕事をしている様子は、昔の自分であり、そうでなくもあり(今時の若いもんは!)、面白くて可愛いのだと思う。そして、私が先輩になったとして、同じように後輩に思うだろう。それは別に私が若い女であることは関係なくて、普遍的なことで、だからそこまでこだわることではないと悟った。大人しく瓶ビールを注いでおじさんに好かれている方が楽である。(ただし、いつか卒業しないと恐怖)

 

私の周りは若い人が少ないのだが、そういうところに配属になったことで開き直れたと思う。会社で測られているのは女としての価値ではなくて努力できる人間かどうかということなのではないだろうか。だから大人は決まって雑用をちゃんとやれと言うのである。

要はこれからも社会人を続けたいですという話で、生きていると発見があるな〜!というゆるふわな話であった。だからこれから社会人になる皆さん、こちら側は地獄ですが、早く熱湯に慣れてしまえば良いのです。