読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

わたしの人生語呂合わせ

延命措置みたいな最後の数ヶ月

自虐の心得

そろそろ新年会シーズンも終わる頃だが、みなさま飲み会でギャグの一つも披露できたであろうか。もてはやされないブスどもは何人を笑わせたかで飲み会での振る舞いを自己採点するといい。少しは慰められる。

 

自虐、卑屈、下ネタは喪女の飲み会における三大武器である。

筋金入りの喪女歴22年数ヶ月の私も、この武器をかなり使っている。なぜなら、相手の話がつまらなくても自分の話だけで笑いを生み出せる、モテない奴特有の異常な自己顕示欲が満たされる自分を犠牲にすることで場が持つことによる陶酔感がたまらない、といった理由があるからだ。つまり、コミュニケーションができない奴のための武器なのだ。

そこで本日は、相手も自分も傷つかない自虐のテクについて考えて書いてみようと思う。

 

大前提として、

自分が言われたくない言葉を使って自分を蔑まない

ということがある。

 

たとえば自分の話で恐縮だが、私は普段頻繁にブスと自称し、自虐芸を披露しているのだが(この時点でコミュニケーション能力と人格に難ありだがなんとか読み進めてほしい)、それは自分がブスであることを受け入れてどうでもいいと思っているからだ

自分がブスだということは自分が一番わかっているので、いまさら周りに何を言われたところでどうでもいい。顔に限らず、容姿に関して何を言われても、ただのn番煎じである。容姿について自分を責めてきたのは一番に自分だから

 

しかし、私はつまらないとか一緒にいて退屈といった言葉が恐怖だ。恐怖だ。幸いいままでそんなに言われたことはないが、言われたら寝込んでもいいくらいだ

なぜなら、私は私の面白さに絶対の自信があるからだ

この文章が面白いかは知らないが私としては面白く書こうと思って書いているし、普段の言葉選びにしても少しでも周りの人に笑ってほしいと思っている。

だからつまらないと言われることはアイデンティティに深く関わる。だからこそ、私は自分のことをつまらないという自虐はしないし、ギャグが滑っても卑屈芸は展開しない、むしろ笑ってもらえるまで卑屈になり続ける。

もちろん周りの人たちは私のアイデンティティがどう形成されているかになど興味はないと思うので、知らぬうちに傷つけられることはないでもない。

ただ、相手につまらない、と言われる(言わせてしまう)きっかけを自分では作らないということである。

 

これは他のことにも言える。これもまた自分の話になってしまうが、学生時代割と不毛な学生団体に入っていた。自分でもクソみたいな団体と繰り返していたが、周りの部外者に同じことを言われると無性に腹が立った。クソみたいではあるが私には大事な活動なんだと思っていた。

しかしこの場合、相手にクソみたいだと言わせるきっかけを私が与えてしまっているので、100%私が悪いのである。相手は悪意なく私の言葉を繰り返したに過ぎない。

 相手が形容している言葉をこっちが使ってはいけないなんてことはない、さらに相手の話が自分にはわからない場合、なおさら相槌としてリピーティングはふつうに使われる会話のテクニックである。

だからこそ、いくら自分でもちょっと不毛だと思ってようが、自分がそれを頑張っているなら不毛だとは言わないが吉である。

 

ちなみに、その学生団体は数年のうちになくなると思うので、いまではクソでもなんでも言ってくれという状態である。もう事実として腐っているので、生き返りようもない。

 

ということで、ここまでの結論としては、

相手に同じ言葉で返されたとして、「お前は俺の二番煎じだ」と思えるような言葉で自虐しよう。自分を傷つけないために。

 

ついでに、面白い卑屈についても少し書いてみようと思う。

卑屈な人というのは、「そんなことないよ〜」と周りが言ってあげないといけないのでとにかく疲れるのだが、卑屈で笑わせるためには例えを使うことが重要である。時事ネタが入っていると尚良い。

例えば、喪女歴22年数ヶ月だということを表現するのに、「箱根で言ったら復路スタートの芦ノ湖あたり、歩いて進むから毎回繰上げスタート」くらいのことを言ってしまうのである。

この例えはあまりにナンセンスすぎていちいち説明が必要な気がするが、要は大手町のキラキラレディの遥か手前にいるということが言いたいのだ。箱根駅伝のゴールって大手町ですよね?

箱根はもう2週間近く前のことになってしまったが、何日か前にこのギャグを繰り出したらそれなりにウケた。良かった。

 

というわけで、例えを使ってたたみ掛けることで相手に反論の隙を与えない卑屈さならば、あまり相手を疲れさせないのではないかという提案だった。

 

まあ、自分の話だけでウケを取ろうとする奴は基本的にキモいので、個性的な友人の話を収集しておく方が楽である。

 

以上です。

 

広告を非表示にする

2015〜2016年に読んだアラサー漫画たち

気づいたら年も明けており………。社会人になるまでの延命措置もあと3ヶ月を切り、諦めがついてきたこの頃。

前々から書きたかった、少なからず衝撃を受けた漫画たちのことをば。

 

おととしから去年にかけて触れた漫画、みんな主人公がアラサーじゃない?そしてアラサー漫画、良作多くない?

というところから、漫画を淡々と紹介するエントリ。

去年から刊行が始まったものとは限らず、あくまでわたしが触れた時期が最近というものたち。

 

東京タラレバ娘

童貞を殺す服ならぬ、アラサーを殺す漫画の代表。

これを2015年の夏に読んだとき、あまりの衝撃に体調を崩しかけた上、一時期ベッドに積んで暗記するまで読んだ。ので、いまでも展開は空で言える。各巻の終わりがどうなってるかわかる。意味がなさすぎる…。

12月発売の「FRAU」という雑誌がタラレバの特集だったんだけど、3巻の映画マニア男について、タラレバファンたちがみんな「あの男とは話し合っておけば良かった」と言っているのがウケた。KEY君の評価は定まらないのにこれだけは一致してた。わたしもそう思う。

 

思った通りドラマ化(まあこけそうだけど)、ストーリーはそれで追えばいいとして、いまなら原作全部買っても2800円くらいですよ。3巻の映画マニア男、ぜひ見届けてくれ

 

A子さんの恋人

近藤聡乃先生、絵がきれい!一筆書きみたいなイラストかわいい!くせにえげつねえな!!!

連載誌がカドカワハルタというマイナー?なコミック誌なので話題になるまで時間がかかったような気がするけど、これを読むと自分と周りの人間に必ず当てはめる。それくらい人物造形が、「ありそう」。

 

誰かが正しいわけではなく、みんなどこかクズだな、ってところがあって、でも憎めなくて、決めきれない大人にもやもやする、そんな漫画。

 

地獄のガールフレンド

タイトルからして地獄。

2巻未読なので大したことは言えませんが、

処女はエネルギーが体内に溜まって自家撞着してる

みたいなセリフがやたらと印象に残っています。うぉおおおおおおおおお………と静かに呻く。

タラレバ娘と違って3人はもともと仲よかったわけでもなく、徐々に距離を詰めていく感じが、読者ものめりこめる感、あり。スピードはないけど、ゆるっと、ぐさっと、刺さる作品。

 

恋のツキ

アラサーと男子高校生が恋をする話。あるのかないのか?そんなことはどうでもいい。男子高校生と、四年付き合った彼氏、どっちを選ぶのか?

主人公が、幼さとか無防備さ、後先考えなさと大人の魅力とを併せ持っていて、等身大のアラサーの話っぽくさせている。設定が突飛な割に。二人の距離の近づけ方を最初丁寧に描いたことで、読む方はじれったいかもしれないが、話を現実に落としてきた、そんな良作。

あと、主人公、フェラチオをしょっちゅうしてる、気がする。

 

私の少年

このマンとか入ってるのでそれなりに有名かとは思いますが…。

これもまた年の差の話だけど、微妙に恋愛にならない。当たり前である、相手12歳だし。

でもどうしようもなく、子どもに心動かされるときってあるよね?下手したらときめくときもあるよね?

小学生向けの塾でバイトしながらときたま危ない時がある。耐えてるけど。

 

 

 

そんな感じで、アラサー漫画は豊作であります。

 

笑いの生みかた

高橋書店の、手帳のCMが、いい。

 

落語家さん(調査不足ですが名前はわからない)が、二人話しているだけのCMだけれど。

酉年、何年か前にも来てなかった?何回かやってない?

というセリフ、やられてしまった。

 

わたしは電車のモニターでみたのでTV等でやっているのかわからないけど、まだみたことない方は是非。YouTubeとかにもあるのかしら。

 

ああいう笑いの生み出しかたが、最も難しいのではないかと思う。

たとえば芸人みたいな、畳み掛けるようなツッコミ、繰り返しのくどさによる面白さ、突拍子もないボケ、みたいなことは訓練すればある程度はできる。それを量産してお金を稼ぐのは並大抵のことではないが、宴会でひと席うつくらいはそこまで難しくない。周りにも芸人的に面白いひとって、ふつうにいるとおもう。

 

だが、落語的面白さ、文脈や常識や慣習や、それを読み取った時にふふっ、と笑いが漏れる面白さ、あれは出てこない。

インスタントに派手なことや馬鹿なことをやり、自虐をする方が楽に笑いをうめるからか、そういった頭を使った面白さに対して貪欲になれていない。

そんなことを反省した。最大多数を笑わせたい。そのためには、自虐、卑屈、下ネタは封印である。

 

べつに芸人が卑しいとか嫌いではなく、とくに好きな芸人はいないがバラエティもたまには観るくらいである。

そこで笑ってしまうと悔しいな、と思う。それ、思いつかなかったな、と。

比べて高橋書店のCMの面白さは、予想外なのだ。そんなところで笑わせて来るとは思わなかった。感心して、あっけにとられてしまう。

 

そんな、わずかな、ズレ。

ズレによる笑い。常識から少しだけズラしていて、でも下品じゃない。

 

そういう笑いを生み出したい、と日々思うのであった。

広告を非表示にする

生きて会えるならそれで

前回の、好きと言って良いのか問題。

同じことでずっと悩んでいる。

 

この間ツイッターをみていたら、

「応援しているというのはアクションを起こすこと。頑張ってねと言うだけでは応援にならない」

という文を見た。

そしてまた、ずどーん、と。

悩んでしまった。

 

これを書いた人がどういう人かは知らないが、おそらくお金をかけることで運営が動き、ファンサが貰え、そして、なにより、相手が会えるもの(次元は問わない)が好きなんだろうな、と思った。

生きて会えるなら、それは、お金をかけても良いような、気がする。

アイドルでも、アーティストでも、バンドマンでも……なんでも。

リアルタイムで追うことができるなら、追ったほうがいいだろう。それによって彼らの今後の方向性も変わってくるわけだし。とくに今話題のゲームなり2.5次元ミュなりは、お金をとにかく落とさないと続編やらが期待できないという話、周りのオタクから日々聞かされている。

 

中学の頃、ご多聞にもれず?メンヘラ製造機椎名林檎が好きだった。

過去形にしているのは、今も聴かないわけではないけれど、全くお金をかけなくなったからだ。

YouTubeなどでみるか、昔買ったDVDをみるか、ウォークマンに入れてある曲を聴くか。

最近東京事変がサブスク解禁したので、そちらはApple Musicで聴くこともある。

でも、個別にお金は落とさなくなった。なんだろう、わたしはメンヘラ製造機だった頃の林檎の年にやっと追いついたわけで、彼女の今の姿には共感できないから。良い曲だとは思う、二時間だけのバカンスとか。これはコラボものだけど。

だからもう、好きとは言えない。生きてるのに、会わないし。

 

わたしが好きなものの中に、生きて活動しているものが少ない。

RIP SLYME とか、星野源とか(これらにもほとんど課金していないので、にわかにすぎない)?

今読んでる本はレーヴィの『休戦』だけれどこの人だってだいぶ前に自殺している。

 

だから応援することはできない。せいぜい本を買うことしかできないけど翻訳を買ったって作者の関係者に落ちるわけでもなく、たとえ利益が全部作者方に入るとして、もう新しいものが生み出されることはない。

 

それでもレーヴィを好きだと言いたいし、前に書いたドストエフスキーだって好きだ。

ドストエフスキーは好きだから『罪と罰』の翻訳を5種類持っている。

わたしにはそれしかできないから。

 

好きなんだったら金を払え、時間と労力を使えというのは、コンテンツの側から言うことであって、

 

(すべからくコンテンツというのはそれをいかに暗々裏に言うかということでもある)ファンがなぜ他のファンの楽しみ方を限定するのか?

まあ、先の発言主にそこまでの意図はないだろう。ふつうににわかが嫌いなだけだと思う。

 

読書なんていう陰鬱な趣味を持ってしまったわけだが、読書は部屋から出る必要が全くない(amazonでポチって)、出版業界のために?何億落とそうと、それは側から見たら応援ではないのかもしれない。

あるイラストレーターの方が絵を買わなくても展示に来てくれたら嬉しいと言っていた。その方の絵は2〜3万円くらいするのだけど、なかなか簡単に手が伸ばせる額ではない。それなりに切り詰めないといけない。

だからその言葉は嬉しかった。曲がりなりにも彼女のグッズを持っているファンとして、居場所を与えられた気がした。

 

インターネットは無限だし、交通機関も発達してる世の中じゃ、何もしない人は怠惰なフリーライダーになってしまうのだな。

 

 

 

神は失敗せずに

Born this way

 

言わずと知れたレディ・ガガ様の名曲な訳ですが。

 

いいよね。

 

ということだけをいう記事です。

 

この曲が発表されたのは高校生のときだと記憶していて、Mステ?とかのスペシャルで来日してた時にみたきがする。ので、初めてきいたときには歌詞に訳がついていた。

が、情報量が多いガガ様(わかって)なので、ガガ様の衣装ダンス周りのダンサー歌詞に訳、全部見る余裕はなかった。すみません。

 

それでそのときは、ゲイとかなんとか言ってるけどそれが全部関係ないんだ〜ふ〜んみたいなクソテキトーな感想で終わった。高校生だったから。

 

最近、Apple Musicをやっと活用できるようになってきて、久しぶりにきいた。

 

めちゃめちゃに感動した。
なぜかよくわからないけど。

Lady Gaga - Born This Way - YouTube

 

これですね。

そして毎日聴いてる。同じところで感動する。

で、わたしの感動自体はいいんだけど。

 

この感情はこの曲を好きってことなのか?

 

ということに途方もなく迷った。

だって、リアルタイムじゃないし、お金かけて買ったわけでもなく、偶然たどり着いたに近く、訳せるわけでもなく、大体の意味をわかってるだけで、ガガ様のすべてを知ってるわけでもなく。

にわかの100乗みたいな好き、だよ、これは。少女マンガの第1話だよ。

 

こんな好き、を自分に許していいのか?

 

愛は課金か問題はいたるところで語り尽くされており、いまもツイッターで争いが絶えないが、わたしはどちらかというと愛は課金派なんだと思う。

というか、周りにオタクが多く、オタクは基本課金でコンテンツを継続させるべく生きてる人たちなので、まあ、そういう認識になった。

 

だが、わたしはメジャー志向だし、外国文学しか読まないけど超王道のドストエフスキーなりシェイクスピアなりで課金の必要などむしろないし、maroon5とかこれもApple Musicできくし、EXILEは自意識が邪魔して無理だけどたぶん好きな方だと思う。

 

そんな人間が好きを語っていいのか?そもそも何かを好きと言っていいのか…………?!?!

 

ということで、延々と悩んでしまう。解決しない、悩み。

 

広告を非表示にする

わたしを選んで

この世界の片隅に

 

みてきました。

以下、ネタバレありで感想。

 

戦争反対!みたいな映画ではない、というのを前評判でみて、それなら、と思ってみにいった。

平日の昼間、高齢者か子連れかわたし(暇を持て余した大学生)しかいない、静かな映画館。

 

たしかに、戦争反対!みたいな映画ではない、というか、戦争に対してとくに意見は表明してない(登場人物が、の話。監督がどう思ってるかなどは知らない)。

とにかく、主人公のすずさん、および声ののんちゃん、とてもよい。ハマっている。

 

すずさんはぼーっとしている。ときに致命的なまでに。よくわからないまま嫁に行く。広島から呉へ。旦那さんもほとんど知らない人である(実は会ったことがあるんだけど)。ぼーっとしているから、義理のお姉さんと折り合いが合わない。けいこさんは、戦争に振り回されてしまった元モダンガールだ。キツイ性格かとは思うけど、最終的に優しい。晴美ちゃんを守るのに必死でよゆうがない。

 

そんなすずさんだけど、旦那さんのことを好きになる。二回もキスシーンがあってわたしは勝手にびびった。同郷の水谷くんが呉に来るシーンが良かった。

すずさんの義理の父、しゅうへいさんの父親が偶然いない家で、家長はしゅうへいさん。彼は家長の判断として水谷くんを母屋じゃなくて納屋に寝かせるんだけど、そこへすずさんが湯たんぽ(的なもの)をもっていく。しゅうへいさんは話す時間をあげたわけで。

そこで、すずさんは「こんな時間を待っていた」んだけど、当然、人妻なので水谷くんといい仲になることはできず、悔しがる。感情を滅多に表さないすずさんの、珍しいシーン。水谷くん、旦那のことが好きなんだなって、ちょっと諦めたように(それでも膝枕させやがって、お前は、となるが)。

すごく、かわいかった。

 

すずだけは、ふつうでいてくれ。

 

その言葉が繰り返され、物語が進むごとに、わたしも水谷くんと同じことを祈っていた。

すずさんが、変わらないでいてくれることが、必要なのだと。

すずさんが、戦争に、暴力に負けないでほしいんだって。

そこで8月15日のシーンは、意外な展開にわたしは胸を打たれたけど、さすがにここまでは言わないでおく。

 

てか、名前、水谷くんで合ってるかな。

 

夫婦がかわいい。

 

これだけは言いたい。

なかなか距離が縮まらない。すずさんの気持ちは広島にあるから。しゅうへいさんも、そこを無理にとは言わない。自分が勝手に連れてきたという気持ちがあるから。

でも、お互いの出会いに対しては幸せだと思っていて。

どんな夫婦が理想かはわからないけど、とにかくかわいらしくて素敵な夫婦だなと。

 

そこがあるから、悲惨な映画にならないんじゃやいかな。

 

他にも、いろんなテーマがぎゅっと、でも乱雑じゃなくつめこまれていて、満足感の高い映画でした。

 

エンドロールの、クラウドファンディングの援助者?さんたちの名前の一覧みたら、この映画を少しでも多くの人にみてほしいって、言わざるを得なくなった。

あんなにたくさんの人の力でできてるんだって。

 

もう一回くらい、みたい。

 

広告を非表示にする

n回目

はてなブログを始めるのはn回目である。

 

高校の時、大学一年の時、何回かアカウントを作った気がする。当時はスマートフォンがなかったのでパソコンからせっせと書いていた。

 

最近、就職もいちおう決まったし、卒論もまあ、やればできそうなのでとんでもなく暇になってしまい、バイトなどしてるけどストレスが地味に溜まるだけなので、うーん、なんか書くか、と思ってまた始めた。

 

中学生の頃からブログを作っては消しを繰り返してきて、大学時代は自意識との戦いで何かを書くのが億劫になったりならなかったりし、いまも自己顕示欲とそこはかとなく戦いながら書いている。

 

もうブログなんてやらないと思ってたのに、あるきっかけがあった。

敬愛していたライター、雨宮まみさんの死だった。

雨宮さんに対する一方的な思い出はすでにprivetterに書き尽くしてしまっていまは改めて言うこともないけれど、雨宮さんは、雨宮さんが書いてくれてるならわたしは書かなくてもいいと思わせる人だった。わたしはふつうの大学生だけど。わたしがTwitterでつまらないつぶやきをするくらいなら雨宮さんの本を何回も何回も読んだ方がいいって思っていた。

 

だけど雨宮さんはもういない。雨宮さんとわたしは別の人生をたどらなくてはいけない、そう思ったときに、書こう、と久しぶりに思った。

読んだ本のこと、行った飲み会のこと、会った人のこと、書きたいと思った。

 

とりあえず、社会人になるまで続けばいいと思う。

 

広告を非表示にする