わたしの人生語呂合わせ

OLの穏やかな思考

生きて会えるならそれで

前回の、好きと言って良いのか問題。

同じことでずっと悩んでいる。

 

この間ツイッターをみていたら、

「応援しているというのはアクションを起こすこと。頑張ってねと言うだけでは応援にならない」

という文を見た。

そしてまた、ずどーん、と。

悩んでしまった。

 

これを書いた人がどういう人かは知らないが、おそらくお金をかけることで運営が動き、ファンサが貰え、そして、なにより、相手が会えるもの(次元は問わない)が好きなんだろうな、と思った。

生きて会えるなら、それは、お金をかけても良いような、気がする。

アイドルでも、アーティストでも、バンドマンでも……なんでも。

リアルタイムで追うことができるなら、追ったほうがいいだろう。それによって彼らの今後の方向性も変わってくるわけだし。とくに今話題のゲームなり2.5次元ミュなりは、お金をとにかく落とさないと続編やらが期待できないという話、周りのオタクから日々聞かされている。

 

中学の頃、ご多聞にもれず?メンヘラ製造機椎名林檎が好きだった。

過去形にしているのは、今も聴かないわけではないけれど、全くお金をかけなくなったからだ。

YouTubeなどでみるか、昔買ったDVDをみるか、ウォークマンに入れてある曲を聴くか。

最近東京事変がサブスク解禁したので、そちらはApple Musicで聴くこともある。

でも、個別にお金は落とさなくなった。なんだろう、わたしはメンヘラ製造機だった頃の林檎の年にやっと追いついたわけで、彼女の今の姿には共感できないから。良い曲だとは思う、二時間だけのバカンスとか。これはコラボものだけど。

だからもう、好きとは言えない。生きてるのに、会わないし。

 

わたしが好きなものの中に、生きて活動しているものが少ない。

RIP SLYME とか、星野源とか(これらにもほとんど課金していないので、にわかにすぎない)?

今読んでる本はレーヴィの『休戦』だけれどこの人だってだいぶ前に自殺している。

 

だから応援することはできない。せいぜい本を買うことしかできないけど翻訳を買ったって作者の関係者に落ちるわけでもなく、たとえ利益が全部作者方に入るとして、もう新しいものが生み出されることはない。

 

それでもレーヴィを好きだと言いたいし、前に書いたドストエフスキーだって好きだ。

ドストエフスキーは好きだから『罪と罰』の翻訳を5種類持っている。

わたしにはそれしかできないから。

 

好きなんだったら金を払え、時間と労力を使えというのは、コンテンツの側から言うことであって、

 

(すべからくコンテンツというのはそれをいかに暗々裏に言うかということでもある)ファンがなぜ他のファンの楽しみ方を限定するのか?

まあ、先の発言主にそこまでの意図はないだろう。ふつうににわかが嫌いなだけだと思う。

 

読書なんていう陰鬱な趣味を持ってしまったわけだが、読書は部屋から出る必要が全くない(amazonでポチって)、出版業界のために?何億落とそうと、それは側から見たら応援ではないのかもしれない。

あるイラストレーターの方が絵を買わなくても展示に来てくれたら嬉しいと言っていた。その方の絵は2〜3万円くらいするのだけど、なかなか簡単に手が伸ばせる額ではない。それなりに切り詰めないといけない。

だからその言葉は嬉しかった。曲がりなりにも彼女のグッズを持っているファンとして、居場所を与えられた気がした。

 

インターネットは無限だし、交通機関も発達してる世の中じゃ、何もしない人は怠惰なフリーライダーになってしまうのだな。