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わたしの人生語呂合わせ

延命措置みたいな最後の数ヶ月

自分を大事にすることと、自己愛が酷いことの境目

新宿御苑前、という地域が好きだ。御苑ではなく、その周辺の店たち。

あの辺りはチェーンの居酒屋はほとんどない。チェーンのカフェは19時には閉まる。そんなビジネス街にあるのは、個人経営の小さな居酒屋たちだ。

都会でありながら、人が優しい。そんな居酒屋で飲みながら、また自虐してしまったという反省会。

 

2年くらい前に得た持論がある。

 

食べる速さ、歩く速さ、話す速さは社会性を表す、ということ。

 

たとえば一緒に食事をしていて、相手がすぐ食べ終わったら申し訳なく思ったり、逆に急かされているような気がして不快に思ったりするだろう。

たとえば一緒に歩いていて、相手が異様に速かったらえっ?となるだろう。

たとえば相手がまくし立てるように話したら、もう少しゆっくり話せないのかな?と思ってしまうだろう。あるいは、なんで焦ってんのかな?と。

 

私は、全部速い。バイト先で食事をするときも一人で先に食べ終わるし、休憩時間は余る。牛丼チェーン店が大好きだ。回転が速いから。歩くのも、集団で飲み会に行く時など呆れられる。なんなら帰りもそそくさと一人で帰る。話すのは、小学生の時三倍速というクソみたいなあだ名をつけられていた頃から直らず、速い。家族以外基本通じない。

 

社会性のなさが表れている。

 

たぶん、他人からどう思われるかより、自分で自分を許せるか、が優先するのだと思う。自意識過剰なくせ、自分の存在すら許せないくらい憎いときがある。定期的に「自分が嫌いすぎてどうしようもねえ」という波が来る。

 

要は、自分のことしか考えてないのだ。他者の目を意識することがない。

 

だから、たとえば、誰か男女問わず、「この人にはよく思われたい」という人が現れたとして、自分を磨いて可愛がられるように頑張ろうよりも、もう嫌われてもいいから私はあの人のことが好きとかいう超絶ネガティヴ思考にすぐ走るのだ。

自虐は自己防衛ですから。自虐風自慢とかかつて言われたけど、あれも防衛だから。

 

そんなに必死で守るほどたいそうな人間でもないのに。

人並みに自分を人生の主人公にして生きたいだけなのに。

 

恋愛における自己肯定感の低さは、多くの男性と話して結果として解消することが多いという。イケメンも慣れれば普通の男性なので、それは一理ある。優しいイケメンに当たり続ければの話だけど。

 

でも、この先の人生はわからないという前提で、この22年間の結論としては。

自虐を繰り返す自分に自信のない性格は、不治の病だと思う。そして、死に至る病だ。

なぜ、治らないのか。

自分を貶める方が楽だからだ。

なぜ、楽なのか。

他者から低い評価をされたとして、「私はクソみたいな人間だから仕方ない」と思えるからだ。べつに、たいして、救われないのに。

なぜ、救われないのにそんな風に考えるのか。

自分が可愛くて仕方ないから。他人にジャッジされたくない、マイナスの評価をされたくない。他人にされるくらいなら自分が先にする。

 

こういう思考回路は誰しも少しはあるのだろうが、それが過剰な人が時折いるのだ。

周りからすれば迷惑極まりないが(謙遜なのかわからなくて対応に困るだろう)、本人はわりと泥沼になっていたりするのであなどれない。本人も周りも不幸でしかない。

 

そして、この思考法は、「私がクソブスで最悪」という、理論で破壊できない結論を根底においているので、変わることがない。抜け出せない。

この思考からくるイケメンが怖い女として見られることが気持ち悪い好きな人に好かれると死にたくなるは克服のしようもあるだろうが、私はクソブスではなく、それなりに魅力のある可愛い女の子であると思うようになるには地獄の日々を乗り越えねばならない。

 

て、ところまで、分かっているのに。

 

また、飲み会で自虐を売りに場を和ませてしまった。

どうしてそんな性格になってしまったの?という飲み会で聞かれても壮大すぎて答えようのない質問までされてしまう始末だった。反省。

どうして、と言われてすぐ答える時は昔ブスと言われて傷ついてから自己防衛するようになったと答えているが、これは外見でなく中身の問題である。まともに答えようとすると就活並みの自己分析が必要になり、確実に死にたくなるだけという不毛さが残るので、やらない。前にやったことがあるが、自分でも分からなかった。ヤバい。

 

まあ、身を切って自分のことで人を笑わせている自分が大好き

なので、治りようがない。身を切っているときの自分しか好きになれないという、手首を切って存在意義を確認する高校生のような思考である。幼い。

昔から大人っぽいが子どもと言われてきた。自分の性格について細かく分析しているのにまるで直らないからだと思う。なぜなら、大人っぽい子どもである自分にアイデンティティを感じてしまっているから。救いようがねえ。

 

手首を切らないだけマシというピラミッドの最底辺の台形どうしの争いである。辛い。

 

さらに、自虐すると相手の話を聞いていないことになるので、相手に対して失礼なのである。最悪でしかない。

 

とりあえず、私より圧倒的に面白い奴しかいない飲み会とか行くしかないのか?