わたしの人生語呂合わせ

OLの穏やかな思考

JKの頃が一番ブスだった

好きな作家やコラムニストを挙げるとしたら、雨宮まみ、カレー沢先生、アルテイシアさんである。雨宮さんはもう亡くなっているために永久欠番で1位。

アルテイシアさんはいくつか連載を持っていてその中でも熟女の連載が好き。月一で更新頻度が高いわけではないけれど、アルテイシアさんの考えがよくまとまってて何度も読み返している。

最近の最新回はJKの頃が人生で一番ブスだったという衝撃的な内容だった。

元サイレントブスのJJは「ブスと野獣」「眠れる森のブス」に出演したい<アルテイシアの熟女入門>アルテイシア - 幻冬舎plus

JKの頃は太っていたし、顔パンパンでニキビだらけだったし、、いまの方が楽で、周りの視線が気にならなくて、言いたいことも言えていい、みたいな話。女は若い方が価値があるという通説に丁寧に反論した良い記事だった。

 

私は23歳だが会社では二番目に若い(2年目という意味で)ので、若さという死ぬ財産は焦って使わないとと思っていたが、確かに2年目になって数日、また違った余裕が出てきたと思う。

例えば、後輩がエレベーターのボタンの前に立たなかったことが気になった。自分ができていなかった時は気にならなかったこと。少し前まで自分がとにかくいろんなことを理解することに必死だったが、周りの人と知識を共有したいと思ったこと。少しずつ考えが変わってくるのだと思う。そして視点が一歩上がって、より多くのものが見られるようになるのかもしれない。

 

JKのときは女子校で、自分を否定する存在はなくて、とにかく自由で解放されていた。でも全然楽しくなかった、というか、常に自分ブスやなあと思っていた。でも誰もそれを指摘しないので、自分はブスなのか?という哲学にハマっていたと思う。大学で面と向かってブスと言われ、今では擬態に日々必死なわけだが、大学のときよりも楽になった。もちろん会社にいてブスと言うような人として終わってる妖怪はいないが、自分で自分を責めなくなった。ブスなのは変わらないが諦めがついたと言うべきか。

 

昔の方がブスだったということを、認めていいのだ、とアルテイシアさんの記事で解放された。JKは可愛いはずなのに自分は可愛くないという呪いに襲われていたことに気づいた。街でJKをみると胃がうずくようなあの気持ち。自分が得られなかったものを得ている彼女たち、見知らぬ女たちへの執念みたいなもの、そこからはもう解放されていいらしい。

確かに考えてみれば一人一人のピーク(自分で思う自分の一番いい時)は違うはずで、JKの頃の人もいるがそうでない人もいるわけで、まだ終わってないならいまは登り坂という考えもできる。それは周りが私を終わっていると言おうが関係なくて、あくまで私がどう思うかだ。そんな当たり前のことも誰かに指摘してもらわなければ気づかなかった。アルテイシアさん、いつもありがとうございます。いつか実物に会いたいが、私は特に面白くない。男も欲しくないし。

 

1年目は、なんとかして戦力になりたいが慣れていない私と、若さでおじさんたちのお気に入りになっている私との間でいつもギリギリと胸が潰れるような思いだった。仕事は辛くなかったがメンヘラ上がりにはかなり辛かった。若さはクソと思いながら若さを使ってしまう自分に腹が立って、そうやって思春期みたいなことをしている私にも腹が立った。いまはもう、穏やかに20代を過ごせれば良いなという気持ちになってきている。やっと、やっとここまできた。

 

ブスであることは悪くないし、ブスでも楽しく生きることはできるし、女は加工次第でブスでなくなることもできる。女に生まれて、良かった、かもしれない。