わたしの人生語呂合わせ

OLの穏やかな思考

ちやほやされている女が嫌いなら自分も努力すれば良い

タイトルと内容はそこまで関係ありません。

 

何度か書いているが職場でそれなりにかわいがられている。2年目で、かつ歳が近い人もいないので、ある意味当たり前かもしれない。そこにわりと甘んじてしまっている自分がいる。若さは死ぬ財産だから急いで使わなくてはと思ってしまう。生き急いでいる。

 

若い女は若いだけでちやほやされていることに気づけという論調はしばしばあって、確かにそうだと思う。というか今だけだから女王として振る舞うのである。オタサーの姫だろうが姫は姫だからにして。いつか姫でもアイドルでもなくなるのがわかっているから。若い女だって馬鹿じゃないので、今のうちにという気持ちは強くある。

わたしより可愛い人なんてたくさんいるわけだが、可愛い人を見るとかわいいなあ、と思う。羨ましいという情はない。たとえ顔がブスでも振る舞いが可愛ければきちんとしててかわいいなあと思うし、顔が可愛ければそれはそれで良い。ブスは何してもブスと言われるけれど、それでも努力する人は尊い。職場にオタサーの姫状態の先輩がいるけれど、偉いと思う。わたしはそこまで社会的な生き物になれない。

 

わたし、若いのでという態度を全身にまとってきたけれど、これって単に女の敵になっているだけじゃないか、という気がしてぞっとしない思いがした。かわいくないわたしがアイドルを自称しているという逆説めいたギャグという、自虐なのか自慢なのかわからない手法でやってきたが、もう若くないと言われてきた年代の人にとってはかなりめざわりだろう。自分が可愛がられることしか考えていなかったので本当に今になって気づいたが、大変失礼な態度だった。やっぱり男の目が女の敵を女にすると思う。職場に女しかいなかったら何のアピールもしないで完全に素で勝負するだろう。女は裏があるなんて言うけれど、女子校出身者はわりとない。

 

前に社会人1年目は小学校1年生と同じという話も書いたけれど、みんながこっちを見ている!という快感みたいなもの、合法ドラッグである。承認欲求という、これを満たすためにネット上で日々戦争が起きているもの、それが簡単に満たされる。

社会人1年目は小学校1年生と同じだった - わたしの人生語呂合わせ

人生で男女問わず人に相手にされたことがない人が、ちょっと面白くて個性的なだけでもてはやされて調子に乗ってしまった。客観的に見ればそれだけのつまらない話だと思う。それだけ、人に相手にされることに切実だった自分を恥じたい。

好きなタイプは?と聞かれたらまっさきにわたしを面白いと言ってくれる人と言ってしまう。お前はエンタメ以外何も与えられないのかという話である。しかもこれ、わたしにとってかなり重要である。それだけ、面白さとか頭の回転の速さがアイデンティティになってしまっている。

 

自分で作った自分のキャラに縛られることってわりとよくあると思うのだけど、それが周りにも影響していると切実な話になってくる。みんなが面白がってくれているうちはいいが、ほんとうはうっとうしいのかもとか、想像力を働かせておくことは大事ではないか。気にしいになりすぎてもつらいが、自分とは違う真逆のことを考えている人もいると思わないと、味方がいなくなってしまう。自分が地に足をつけて生きることだけ考えていてもしかたなくて、やっぱりもっと社会的な生きものにならなければ。

 

なぜ突然こんなことを書いているかというと、恋愛がないと人生張り合いないよとこの間飲んだ人に言われたから。わたしも恋愛していいのかあ〜と妙に感慨を覚えた。そこから、自分恋愛しないキャラ固定しすぎだなあと思い、ここまで話が膨らんだのである。暇か。

恋愛は確かに潤いだろう。そのためには自分の時間を相手に割くことに慣れなくてはいけなくて、そのハードルが高いので今も一人で部屋でこれを書いている。一人でいることを研究してきた女が人と過ごすことは難しい。人を好きな気持ちより、感情を押し殺す能力のほうが高かったりする。そうやって、疎遠になってしまった人が何人もいる。これはもう、男女問わず。

 

わたしには、誰かを大事にする権利はないと思う。能力がないといってもいい。恋愛自体は誰にでも開かれているが、その先がない。あってはいけない。こんなに自分のことしか考えていない女が誰かを好きになってはいけない。

学生時代はそれでも好きなものは好きと言い張るエネルギーがあったが、仮にも社会で働いている今、自分に割けるリソースさえ限られているのに、誰かのことを考えている暇がない。俺と仕事どっちが大事?を素で言わせてしまう気がする。まあ、ここまで全部妄想だけど。

サプリの藤井みたいに広告代理店のバリキャリというわけでもないし、めちゃめちゃなブラックで気が狂っているわけでもない。それでも、日常の中に要素が増えることに対して違和感しかないままここまできてしまった。そしてしばらくはこのままで行くつもり。