わたしの人生語呂合わせ

OLの穏やかな思考

見向きもしなかった35周年のCM

ディズニーランドが35周年らしい。35年といったら生まれた子供が早ければ課長くらいになっている(うちの会社ならなれる)。1983年。バブルより前じゃないか。

それで最近やっているCM、今日初めて見たのだけど、誕生日のシールを貼った子供が次々と祝われるというポジティブな感情の上澄みみたいなもの、要はわたしと無縁なものがキラキラと光るCMだった。たしかに誕生日だとあのシール書いてもらえて、どこ行っても祝われますよね。以前大学の女と行ったことがあり、そういう経験をした。誕生日だったのは女の方だけど。

 

たぶん少し前ならしゃらくせえな35年間もで終わってしまったのだが、きょう、思ったのだ。

わたしもシール貼って祝われたい。なんなら耳とかつけてもいい。と。

ディズニーに一人で行く奴は相当なオタクか、幸せそうな人間の観察に血をあげてる奴だと思うが、さすがにわたしはそこまでディズニーも人間観察も好きじゃないので、誰か行ってくれる人を探さなくてはならない。しかも並んでいると必ず苛立つシーンもあるだろう。わたしは信号待ちですらイライラするという待つことに対する能力の欠陥がはなはだしいので、メンバーは慎重に選ぶ必要がある。この状況で誰と行くんだ。連れてこられた奴、めちゃめちゃかわいそうである。でも、ディズニー行きたいなんて人生で一度も思ったことがなかったので動揺を隠せない。最近動揺しすぎである。不眠気味だし。

 

関連して、きのう横浜港に3艘の豪華客船が来たので人がたくさんで道路も混雑みたいなニュースを見た。以前のわたしなら連休中に出かけるなんて馬鹿のすることwwwwと思っていたはずだが、昨日は違った。

横浜の海辺でデートしたら楽しいよな〜!と思ったのだ。当社比でかなりやばい。

そもそも自分の性別がわからなくてふらふらしてるのに、そんな、デートなんて。べつに恋愛しなくてもデートだけならお金払ってでもできるけれど、まさか横浜。苦手な都市の上位に入る横浜(東京都内じゃないのにおしゃれなのが都民にとっては恐怖)。横浜に行きたくなるなんて。どうした、俺。

 

男になりたいわけでも女とは何かの哲学をずっとしてるわけでもなくて、世間が思う若い女らしくなれないわたしはじゃあなんだろう?と思っているだけだけど。女らしくない女が、自らを女と名乗ることに意味はあるのか?と思う。ブスだしふるまいも粗雑だし、言葉も汚いのに女だなんて、恥ずかしくない?ということ。そう、わたしは自分であること、女であることが恥ずかしいのだ。どんなに女らしくなくても肉体はどうしようもなく女であり、おそらくヘテロセクシュアルであり、フレアスカートに憧れている。それが恥ずかしい。女でありたいなら努力しろブスだし、それが無理なら性別を捨てて隠居しろ、と日々言い聞かせている。こんな状況で、女としての自分()を認めるなんて無理すぎる。認めるというか、無いのだからしかたない。可愛くない女は死ねを自分の内側にも外側にも投げつけている。残念ながら、女として死んでも人として生き残らざるを得ない。

 

女子校出身で大学に入った後に女としてのランクをつけられ、最下位に驚愕した女たちはどうやって這い上がって生きているのだろう?そもそもそんなに女がどうとかに向き合ってないか。ていうかもう、大学入ったの5年前だけど。いつまでやってんの、これ。

 

全然関係ない話をしようとしたのにここに帰って来てしまった。帰巣本能がすごい。たしかに引っ越すならうちのマンションの別の部屋とか日々言ってるけどね、そういうことじゃないか。