わたしの人生語呂合わせ

OLの穏やかな思考

すべりだいの歌詞を再発見する

あまりに好きすぎると好きなものそのものになりたいと思ってしまう、そういう話をいくつか読んだことがある。

例えば、わりと有名だけど上田啓太さん。いつもaikoになりたいと言っている。

私の中にはaikoがいるという、端的で力強いパワーワード

 

そして、藤原麻理菜さんも言っていた。

私はギャルになりたすぎて心の中にギャルが住んでいるという。わかる。わたしもやたらとギャルになりたいって発言してしまう。ほんとうにギャルになりたいんじゃなくて、好きなようにメイクして好きな服着て輝きたいというささやかな願いです。

she isというこのサイトもおすすめ。OLやめたくなる。

 

さらに、雨宮さんも。

大和書房・WEB連載〜40歳がくる!MOB 雨宮 まみ vol13

私は好きな相手そのものになりたいと思うことがあるなんて、雨宮さんにしか書けない。

 

※関係ないけど、やっとブログカードの挿入を覚えました。。

 

好きなものそのものになりたい、もしくは、好きすぎてなりたいが、もはや心の中に住んでしまっている。正確に説明することは難しいから、個々人の例でしか説明できない、この感覚。

おもえば、たしかにわたしのなかにも椎名林檎が住んでいる。

 

椎名林檎を好きになって10年が経ち、椎名林檎は20周年を迎え、ますます人間でない感じになり、そして、新しいアルバムを出した。正確に言えばトリビュートアルバムなので椎名林檎は歌っていないが。

そのなかに、三浦大知が歌うすべりだいという初期の曲がある。なんかのカップリング曲。このアルバム、選曲が謎だが、やたらと古い。古参ファンに媚びようというつもりなのかもしれないが、はあ………とおっさんのつまらん話を聞かされた時の気持ちだ。

だから、正直、全ての曲が好きになれたかというと、そういうわけでもなかったのだが、レキシの幸福論とすべりだいだけは、リピートして聴いている。まあ、レキシが歌うと基本的に面白いですよね。

 

f:id:harugangt22:20180525230309p:image

歌詞がこれ。これだけでもうメンヘラ御用達!!!!って感じがするのだけど、三浦大知が歌うことでさらに良いのですよ。

 

話は少し逸れるけど、自分をレズビアンと思う男性の話があった。

牧村さんの記事で、これは魚拓を貼りたいくらい良かった。貼らないが。cakesは一定期間を過ぎたら有料になってしまうのだけど、この記事にならお金を払いたいと思った。内容としては、同性カップルであっても男女の役割分担を厳密に決めて振舞ってるカップルがいるように、異性カップルでも同性的に付き合える、みたいな話を、レズビアンという言葉の歴史から探った記事。

何が言いたいかというと、三浦大知が歌うすべりだいは、レズビアン男性の視点ではないかということ。

 

この話をわかりやすくするために、RIYMESTARがカバーする本能の歌詞を見てみる。

f:id:harugangt22:20180526185027p:image

椎名林檎のオリジナルの本能と同じ歌詞の部分は、椎名林檎の歌声を挿入する形で歌われている。間に挟まるラップ部分をカバーしている形。つまり、この歌の半分は椎名林檎が歌っている。それにRHYMESTARがレスポンスしていると考えればいいのだと思うけど、そういう意味でこれは男女の歌なのだ。同じく流行もそうですけどね。

 

対して、すべりだいは男の歌でもある。あたしを自称するレズビアンな男の歌でもある。

椎名林檎が元の曲を作って歌っている以上、これを簡単に言ってしまうのは危険でもあるのだけど。あるいは、三浦大知のなかに椎名林檎が住んでいるのかもしれない。好きすぎて、住んでしまっている。

とにかくこのすべりだいはものすごくもやもやする曲なのだ。椎名林檎が、若い20歳前後の椎名林檎が歌っている分には、面倒で手がかかる女がメンヘラ全開にしているだけに聴こえるのだけれど、もしかしてこれは男性視点でもいいのかもしれない、と思った途端に、別の妖艶さを感じるのだ。男だってすぐにでも泣き喚きたいシーンがあってもいいはずで、それをわたしはどこかで否定していたからこそ、三浦大知がそう歌うときに違和感を感じるのだろう。女としての生きづらさみたいなことをふだん息を吸うように書いているけれど、それは男の人たちの考えていることを無視したからこそ書けることで、ほんとうは性別と思考って密接に関係はしていても、1対1の関係ではないはずだ。と、そんなことまで考える。あと、単純にメロディがめちゃめちゃにおしゃれになっていて、メンヘラソングの影も感じない。すごい。

と、ここまで一息に書いたけれど、三浦大知がカバーしたことでわたしはこの曲を好きになった。初めて聴いたのは私と放電という10周年記念のカップリングベストアルバムだったけれど、そのときはそうでもなかった。

 

許されるなら本当はせめて すぐにでも泣き喚きたいけど

こだわっていると思われないように 右眼で滑り台を見送って

記憶が薄れるのを 待っている

 

この部分、ほんとうによくないですか。どういいのか、書いたら野暮になるけれど、書く。

本当はせめてすぐに泣き喚くって、けっこうやばいメンヘラである。メンヘラという単語に全てを託してしまうけれど、大人、そんな簡単に泣き喚けない。しかもこれ、終わった恋愛についてである。終わった恋愛について泣き喚くって。

こだわっていると思われないようにみるすべりだい、これは思い出のすべりだいではないんじゃないかと思う。思い出のすべりだいってなんだよって話だけど、滑らずに済むような気がするという歌詞を書くためにここはすべりだいがキーになっているとわたしは思っていて、ほんとうはなんでもいい。わたしだったら、、、と思うけど、特に経験はなかった。まあ、そういう、ふたりで何度も行った場所とか、いつも待ち合わせに使っていたランドマークとか、そういうものだと思う。そしてそれそのものじゃなくても、類似のものを見ると終わった恋愛を思い出してしまう。もしかしたら恋愛で無くなった後もふたりで会う機会はあるのかもしれなくて、呼び出されたら付いていってしまって、連れていかれたしゃらくさいカフェの窓からすべりだいが見える。当時の、きっとお金がなかった時代と、全然違う街、違う風景なんだけど、妙に昔のことを思い出してしまって、端的に言えば泣き喚きたくなって、でもそれは許されないのだ。許されないけど、今ならもう少しうまくいくのではという思いは消えなくて、だからじっとすべりだいを見送って、記憶が薄れるのを待つ。待ったところで薄れませんけどね!

 

半分以上妄想だけど、こういうシチュエーションって男女問わずあるんじゃないかと思う。男の人はここまでセンチメンタル全開にすることを許されないのかもしれませんが。だからこそ、めちゃくちゃおしゃれな曲にアレンジして、かっこいい男性であるところの三浦大知が歌っているのかもしれませんね。そこがみょうにえろくなるというか。とにかくいいアレンジだと思います。

最初に聴いたときはすべりだいと滑らずに済むようなってダジャレかよ!!つまんな!!としか思わなかったのですが、10年経って自分の感性も少し磨かれました。

 

この間も何かの記事にメンヘラ系ラブソング大好きということを書いたのだけど、どうして共感できるのだろう、といつも考える。わたしにはうまくいかなかった男もいないし、生きているという真実だけで幸福になれるような男もいないけど、なぜか刺さるものがある。この感覚ってすごく大事だと思っていて、べつに椎名林檎はまったく一般的な感性の持ち主ではないが、他人に共感するって人間に残された最後の大事な能力な気がする。もうたぶん、人間がやるべきことってどんどん減っていって、人間関係だってそのもの必要じゃなくなるのかもしれないけど、その中でも共感性の高い人ってずっとモテるし好かれ続けるんだろう。そして、共感って最後の社会性だ。

そういう意味で、ますます完全生命体をめざしているわたしにも、最後の能力は残されているし、これからも育んでいけるのかも、と大きな話を考えるのだった。

 

本当は別の記事にしようと思ったけど、分割するほど書くこともないのでここに書いてしまう、この間男の子と出かけた話を書いたが、同じ人と今度は銀座に行った。

銀座って、名前を聞くとハードルの高い街なのだけど、行ってみるとけっこうぐちゃぐちゃしていて、古い建物も多く、まあ買えるものは売っていないけどふつうの街だと思う。GINZA SIXに行ったら目抜き通りが流れていて、椎名林檎は新宿から銀座の女になり、池袋から終電で帰ることもないんだろうと思った。わたしも少しは東京の東側に行くことができるようになった。

また、食事をおごってもらって、わたしはお金を下ろして行ったのに小銭しか使わないで帰った。端数を払う女。まあまあ、たまにはおごられなよと言うけれど、わたしはふだんの飲み会でもほとんど出すことはないし、相手はお酒を飲まないのでわたしだけ酔っ払っているし、ひたすらに申し訳ない気持ちしかない。しかも、今回何かプレゼントを買っていこうと思ったのに忘れた。つくづく自分にしか興味のない女だと思った。

銀座は楽しかったし、また行きたいと思ったけれど、すぐに女友達に報告することがないという思いに至って、芸人として暮らしてきた業のようなものを感じた。日常の全てが他人への報告用とそうでないものに分かれてしまっている。インスタグラムにアップするように写真を撮りに行くのと変わらない。いかに自分が面白い日常を過ごしていると相手に思わせるか。それは相手に対するエンタメの気持ちを超えて、ほぼマウンティングになっている。そしてなぜか同時に、面白い報告をできなくて申し訳ないという、あまりに不必要な感情に支配されている。あんなに楽しかったのに、汚い別の感情に汚染されて、思い出が上塗りされるのを感じる。

わたしの日常を面白く無くしてしまうのは、わたしだった。

 

わたしはすぐにこうやって他人のネットの文章を引用したり、歌詞を分析したり、大学時代依存症の歌詞でレポート書いたこともあるくらい思考の塊の女だけど、相手はこの何分の1も考えてなくて、もっといろんな人とデートしなよとか言いながら、またデートしてくれますか?と聴けば快諾してくれるし、わたしの隣の席の人が大好きというしょうもないプレゼンを聴いてくれる。優しくないわたし、考えるわたしには優しくてあまり深いことを考えない人のことが分からない。分からないから面白いし、もっと一緒にいたいとも思うのだけど、たぶん相手はそこまでも考えてなくて、わたしばっかりデートのたびに反省文を書いている。

 

銀座のことを思い出し、しぜんと笑顔になっている自分がいて、仕事中に出ていなければいいのだけど、うわ〜〜〜!!!!と叫びたい気持ちになる。好きじゃん。女友達と出かけたことなんてすぐに忘れるし、ドタキャンされようがどうでもいいのに。相手の自分の中でのポジションが大きくなるたび、向こうからしたらきっとわたしのことなんてどうでもよくて、わたしがあなたを好きなほどあなたはわたしを好きじゃないですよね、わたしへの返信よりアマゾンプライムですもんね、知ってますよ〜〜〜〜みたいな気持ちになる。みたいなっていうか、ジャストこういうことを考えた。めんどくさいし、ネットにだらだら書くことでもない。こんなに他人に対して興味を持つようになった自分も驚きだし、もう少し相手を増やして分散させたほうがいいんじゃない?ともう一人の自分にささやかれています。もう、くどくなってきたのでこの辺でやめる。そして、勢いで投稿します。