わたしの人生語呂合わせ

OLの穏やかな思考

6/26の日記

特に言いたいことのない日記です。

 

自宅に着いて自分の部屋に入るときよりも、山手線の車窓から池袋の北口が見えるときのほうが帰ってきた気持ちが加速する。山手線の車内モニターの池袋という表示を見るだけで、ああもう山手線には乗らなくていいんだ、と安心と興奮を同時に覚える。池袋では強がる必要がない。

 

もう、池袋を使い始めて12年目で、そして、今の家にはまだ5年しか住んでいない。

 

昨日は山手線が遅れていて10分に1本になっていた。とてもじゃないけど待っていられないし、ただでさえ電車を待つ時間が嫌いなので丸ノ内線に乗った。丸ノ内線は好きだ。好きなメトロを挙げろと言われることは特にないが、言われたら丸ノ内線丸ノ内線池袋駅に朝8時ごろに行くと、混雑もすごいんだけど統一感がある。統率感といったほうがいいか。完璧な統率を持って見知らぬ人たちが並んでいる。4本後まで待っている人がいるけど、それでも10分くらいで乗れる。美しい。東京でもっとも美しい始発駅は丸ノ内線の池袋だと思う。異論は認める。

 

きょうは東京から新幹線に乗った。だんだん目的地の最寄駅の一つ手前で目がさめるようになる。この時間は勤務時間だろうか?一抹の罪悪感からメールだけはチェックする。落ち込むようなメールが来ている。見なければよかった。

人間同士のことだから揉めるのも分かるけど、どうしてここまで分かってくれないのだろう。そして、向こうも同じことを考えているだろう。絶望的だ。

 

山手線の話に戻るけれど、だいぶ前に山手線車内の脱毛サロンの広告が嫌いだと書いた。そう、脱毛サロンの広告が嫌いだから山手線が嫌いだ。山手線にはローカルが存在しないから、半蔵門線にあるたまプラーザの駅ビルのセールの案内とかがない。均質化された広告は、やがて脱毛サロンと英会話スクールの2種類に収斂する。労働者を追い詰める。

 

脱毛サロンにわたしは行ったことがないが、向こう側だ、という認識がある。髪を染める前は、ヘアサロンで染めることが向こう側だった。ジェルネイルをする前はネイルサロンが向こう側だった。それと同じように、脱毛サロンも通ってしまえばこちら側になるのだろう。でも、だめだ。きっと行けはしない。

シェービングがべつに負担じゃないということもあるけど、脱毛サロンのポエム感がだめだ。脱毛するのになんであんなポエム広告を打つのだろう。脱毛しているかしていないかが女としてのランクを表すのか、そうか。それはそうかもしれないな。毎朝毎朝、わたしは女として劣っていると言われている。川栄李奈と、吉沢亮と、あと他にも綺麗な女の子たちが。

脱毛ポエムの嫌なところは、脱毛によって女のさらなる魅力が引き出されるというか、むしろ脱毛したほうが自然みたいな、脱毛洗脳主義なところと、あと、もっと嫌いなのは男の目線があるところだ。男と付き合うなら綺麗な肌でいなきゃ!というポエム。ほんとかよ、と思う。ほんとに?

 

男と付き合ったこともないし、付き合うこともなさそうなわたしには分からない。脱毛したら色々楽なのは分かるが、なぜ他者の視線を挟むのか。自分がやりたいからやりたいでは良くないのか。わたしはジェルネイルに3週間気づかれなかったが、それでもネイルサロンに通う。自己満足の何が悪い。自己が満足するための収入だろう。

 

次の日に仕事があるときは23時には寝てしまう。というより、23時まで起きているのがやっと。ポーランド戦も観たいけれど、難しいなあ。

22時を過ぎると、強烈なメンヘラに襲われる。メンヘラってべつに襲ってくるものではないかもしれないが、襲われるとしか言えない。学生の頃はほんとに2時とかの深夜まで起きてるのがふつうだったから、メンヘラが来るのも分かるが、ド平日の、まだ夜中とも言えないような時間に、抗いがたい人恋しさと寂しさに、毎日、襲われる。

そのたびに誰かに連絡しようとするも、結局自分から人間関係を捨ててしまったわたしには連絡するような相手はいなくて、一人は寂しいなあ、と思う。もっとちゃんと言うなら、一人が寂しいんじゃなくて、一人って寂しいのでは?という視線を内面化していることに気づく。実際に一人で食事をしているとき、とくに寂しくはない。

夜になるとそういう、世間の目というか、わたしが世間の目と思ってるもの、第二の目みたいなものがわたしを見つめる。気にしなくていいのだとは分かっている。もう、毎年、寒い季節を乗り越えるのが辛い。暑い季節は暑い季節で、ナイトプールのことを考えて落ち込む。たぶん一生行かないなあ。脱毛するか迷ってるうちに適齢期を過ぎる。

 

インスタ映えっていくつまで狙ってていいんだろう。

 

このブログ、しょっちゅう同じことを書いてるけど、ほんとに忘れてて書いてしまうことと、いつも考えてることが同じだから書いてしまうことがあって、一応たまに下書きも含めて見直している。ネタがかぶらないように。

そしたら、3月くらいにめちゃくちゃメンヘラ極まっちゃった下書きがあって、もうそれは陽の目を見ることはないけど、もはややばすぎて人が書いた文章みたいに思えて、自己憐憫で自意識が爆発しそうだった。よくないよくない。天馬さんも、自意識過剰を自重せよと言っていた。

とはいえ、毎日わたしは同じことを考えている。女として欠けているわたし、連絡したい人にするまでに何週間もかけてしまうわたし、打合せでうまく話せないわたし。独身実家暮らし彼氏なし女には、自分のことを考える時間しかない。そろそろやめたい。もっと通勤中に考える有意義なことがあるはずだ。弱まれ、自意識。

 

インターネットで自意識をぜんぶぜんぶ発散して、それで、現実では落ち着いて、笑顔で過ごしたいですよね。そのためにこうやって2000字も書いてるのに。

20代前半のこのいまの瞬間が憎い。