病めるときベースで愛せるか

大好きなアルテイシアさんがよく言っている。夫婦とは50年の共同生活、病めるときベースで愛せるかどうかだ。

この言葉は常に頭にあって、本当にその通りだと思う。ふだんからよく書いているように、病めるとき(躁っぽいときも含む)にはパートナーの存在そのものを否定しがちなわたしである。自分が病んだときに相手を否定しない、相手が病んだときに相手を否定しないということが、いかに大事で難しいかよく考える。

 

今週行けないかも、と言っていたパートナー氏は、日曜の夜になって来た。わたしが作った料理を食べ、弾丸仙台旅(この話は機会があれば書く)で買ってきたワインを少し飲み、21時にもう眠いと言って寝た。わたしももう眠い寝ようということはしばしばあるが、さすがにシャワーも浴びずソファで何時間も寝ることはない。しかし本人も言うように慣性の法則が強く働いている氏のこと、全く起きないのでわたしも早めに寝た。

 

早朝に起きシャワーを浴びた氏は少しは元気だったが顔色がそこそこに悪かった。わたしはこういうことにイライラしてしまうのだ。性格が悪いと言われればそれまでだが、セルフマネジメントしてくれと思ってしまう。自分は食中毒とか起こしてんのにね。

トイ・ストーリーを観に行ったが、その道中も調子が悪そうなので厳しければ帰ってくれて構わないと何度も言った。あなたが風邪を引いたら俺は優しくするけどあなたは厳しいのねと言われた。おっしゃる通りであるが、わたしは体調が悪いときは一人になりたいかもしくは医者としか会話したくないので人には会わない。

 

結局、御茶ノ水エチオピアでカレーを食べて氏を見送り、定期券内である御徒町まで歩いて戻り家に帰った。御茶ノ水から電車に乗ってもそうお金はかからないが、椎名林檎を聴きながら歩かないとこの感情が治らないと思ったからだ。肝心の椎名林檎は、Bluetoothイヤホンの不調により途切れ途切れだった。これ、どうにかならないのか。

 

体調が悪い人間に、悪い悪いと言われてもわたしに何ができるかわからないので、こうしてくれと作業指示をくれるのが最も良いと思っているのだが、これは仕事と同じだと思った。わたしはやることが特に指示されていない日は異常にやる気がなくなり落ち込むのである。眠いとか言われたときも同じだ。自分にできることがないのにこの人の隣にいて意味があるのだろうか、早めに帰してあげる方が良いのではないかと思う。そして、その方が絶対にいい。

 

氏とはこれからもできる限り、いい感じの関係を続けていきたいと考えているが、そのためにはお互いの調子があまり良くないときも含めて、対等に接し続けなければならないのだった。これは義務だ。愛情とかそういう柔らかいものではカバーできないとわかった。お互いを常に思いやることは、義務だ。

そもそも、氏が調子悪かったのは、うちの室温含めコンディションがあまりよくなかったことと、氏が服も着ず寝たことと、氏の仕事的に話している時間が長く喉をやられてしまったことと、氏は仕事上愚痴をいうなどでストレス発散できる環境がないこと、そういう複合的な原因があったからで、セルフマネジメントなんていう簡単な話ではないのである。頭ではわかっている。わかっていても実際に体調が悪そうな人を見ると、罪悪感も含めて、すぐ怒りになってしまう。

これは、体調が限界でも働き続ける推しを見ているときと同じ感情だ。やめてくれ、無理しないでくれ、という気持ち。推しは眼前から去るので、彼が厳しそうな状況はある意味もう見ないで済むのだが、氏とは付き合いが長くなるかもしれず、なによりこの一件でどちらかがどちらかを捨てたとして、病めるときベースで愛せるかという問題はわたしの中に残るのだ。

 

きょうはトイ・ストーリーの感想も書いており、iPhoneを見つめすぎて気分が悪くなってきたのでこの辺でやめにするが、また大きい問題にぶち当たってしまった。つらい。